3.ガチャピンとの関連
仮説の項の中で触れたように、レッドヤーン=ムックであり、それは世界中で飼われている「ガチャピン」に関係する何かではないかという説が、研究家の間で多く支持されている。
それは、愛玩動物として広く認知されているガチャピンの中でも、最初のガチャピンと言われる、人語を解するガチャピンの証言をもとに構築されたものであり、またその言に照らすならばかなり信憑性の高いものと世界的権威の研究報告でも紹介されている。
ここではその説の論拠となる事柄に軽く触れる。
ただし、研究家たちの間では広く、一つの常識として認知されているものではあっても、それが確定的事実ではないことをここに記しておく。
1)出現時期
1973年。
それは、レッドヤーンの出現と同時に、ガチャピンの出現をも意味する年となった。
どちらもが同時期に日本のほぼ同じ地域で発見され熱狂的なブームを巻き起こしていく。
2)生息地域
ガチャピンは当初日本の中にのみ生息するものと思われていた。何故なら、1973年以降新たな種が発見されなかったからだ。しかし1980年代以降、東南アジアを皮切りにその種と個体はものすごいスピードで認知されていき、彼らは結果愛玩動物として世界中で人間に飼われるようになる。
それが「ガチャピン」というものを更に繁栄させていった一因だろう。
翻って、レッドヤーンだ。
日本の空をただ飛んでいく赤い毛玉は、地表に降り立つことはそうない。
降り立たないわけではない。それを目撃されることが少ないからそう言われているだけで、本当は地上のどこかにきちんとした住みかを得ているのかもしれない。全てに疑問符のつく生き物と言える。
有り体に言えば、レッドヤーンはUMAであり、故に生態は一つとして知られてはいない。
そんな二者の目撃情報の広がり方はとてもよく似ている。
まず、日本の関東圏。
次に日本各地へ進出。
ガチャピンは東南アジアへと出て行き、オセアニア、ヨーロッパを経て最終的にアメリカ大陸へわたる。
レッドヤーンは日本での目撃が大半を占めるが、1990年代に南アジアあたりでの目撃情報、近年ではアメリカ大陸での目撃例も多い。
ガチャピンがそれを追っているのか、追おうとして追い抜かしてしまったのか────後者のように感じるのは筆者だけだろうか。
3)形状の合致
それの外観を伝える証言は多岐にわたるが、信用は薄い。
UMAであるが故に誰もはっきりと間近で見たことがない、というのが要因だろう。それはしょうがない。
その中で、「赤い」「毛玉状」という証言が富みに多いことは論を待たず、故にそれは信用のない証言の中で数少ない信用できる「事実」と認識されている。となると、その他の特徴を考えるとき、同じ論法でいくつか特徴を絞り込めないだろうか。
多くの証言をまとめたとき、単純に共通するものはいくつかあるが、その悉くが実は────最初のガチャピンが話した「友人」の外観とよく似ているものが大半を占めるのだ。
赤い毛で覆われた長身。
飛びでている目。
頭頂に突き刺さったプロペラ。
そのプロペラは飛行のために伸縮自在だ。
つるりとした手。
毛に覆われ鼻も耳も確認はできないが、その口は暗黒に続くかのように真っ黒だと言われている。
もうここまできたら、赤い毛玉はムックであったと、そう断じたっていい気分になってくるではないか。
4)まとめ
細かく語りだせば他にもレッドヤーン=ムックとなる事実はあるのだが、長い上に眉唾な話も出てくるのでそれらはここでは割愛する。
上記3点より導き出される仮説はこうだ。
ガチャピンとムックは日本のどこかで仲良く暮らしていた。
甘え上手のガチャピンと、めんどくさがりの食いしん坊なムックは性格が違う故に仲が良かったがしかし、性格が違う故にある日決定的な仲違いをしてしまう。
何が理由かは当然わからない。
しかしはっきりしていることは、それによってムックが頭のプロペラを派手に伸ばして空へ飛んでいったということだ。
ガチャピンはそれを追うために人間の世界へ現われた。しゃべる二足歩行の爬虫類は世間の注目の的となる。しかしムックは帰ってこない。
友の姿を求め国内を移動したガチャピンが、その移動中に何をしたかも当然不明だ。
あるのは結果のみ。
日本各地にガチャピンたちがあふれ始める。おそらく、ムックを探して。一人では無理だから、仲間を増やして探そうとでも言うように。単細胞生物の繁殖かってくらいの勢いで、それは増えていく。が、ムックは見つからない。
ガチャピンは地を這い、ムックは空を飛んでいるからだ。
10年以上かけても国内でムックの影を踏めなかったガチャピンは、なんらかの手段で海を渡り他の国々で種族を増やしていく。各地の気候等が影響したのかその種は多種多様となった。次の10年でガチャピンは瞬く間に世界中に広がる。それを人の手が無意識に手助けしていたのは言うまでもない。
何故なら、ガチャピンは、ムックを探し出すために手段を選ばなかったからだ。
人海戦術を使えば早く見つけられるとでも言うような増殖を手段に選んだとき、世界中に存在する人間を使わない手はないだろう。
こうして、甘え上手で依存上手のガチャピンは、自らの特徴を余すことなく発揮して人間に依存した。品種改良され愛玩動物となったとしても、それで世界に散らばり友を見つけられるならそれでいいじゃあないかとでもいうように。
きっとレッドヤーンは────否、ムックはそんなガチャピンから逃げているのではないだろうか。
喧嘩の理由はわからない。彼が今でも彼らに怒りを持っているのかもわからない。むしろ、彼らが友人同士だったと言うならば、許し謝るタイミングを逸して単純に気まずくなってしまっているのかもしれない。
気まずいのは、自分も悪いと認めているからだ。
また仲良く暮らしたいと願うのはムックも同じなのではないか。
しかしここまで逃げ回った手前、素直には言い出せないというのも心理としてしょうがないかもしれない。
謝りたい。それはできない。というか向こうが謝りにくるべきだ。────そんな意識のせめぎ合いの中で、毛玉の数が、1つ、増える。
悩みすぎて多重人格ならぬ、多重人体をムックは手に入れる・・・・・・というのは言いすぎにしても、ガチャピンがムックを探して回れるよう個体数を増やしたのに対し、ムックはいつか「素直に謝れる自分」を作れるかもと考えて個体数を増やしていっているのではないか。
レッドヤーンの目撃個体数がガチャピンよりも少ないのは、そういう、増殖へのプロセスの違いからだろう。
ガチャピンは追い続け、ムックは逃げながらも解決策を文字通りひねり出そうとしている。
そんな不器用で悲しくも人騒がせな二人の物語。
それが、この、UMAの裏に隠されているのではないだろうか。
科学的な箇所は一切無い、状況証拠のみによる推論であるわけだが、いくつかの事実を整合性を持って説明できるため、この説を支持する研究家が多い────そんな、仮説だ。
正直それが真実本当のことだとしたら、それはそれで気持ち悪い生き物と言えなくもない。
分裂で個体を増やしているわけで。
こいつら、単細胞生物なのだろうか?ある意味ではそうなのかもしれないが────。
なにはともあれ、仮説に変わりはない。