これさえあれば万全だ。
心に残る絵本はないだろうか。
売れてるとか有名とかいい話らしいとかいう知識じゃなくて、小さい頃自分が実際見たものでなんであんなにこだわってたんだが自分でわかんないよなあ、などとぼんやり思ってしまうほど好きだった絵本があるかないかということなんだが。
関係ないけど、うちの家には絵本がけっこうあった。
っつーかまあ、飯より本を買う、というのに近い心意気の親父がいたので、本はあった方なんだろう。今では私が「本なしでは生きてけない」というノリで買いまくるのでそろそろ床も抜けそうというものだが。
そりゃどうでもよくて、なんで絵本がそんなにあるかっていったら、保育園で月に一度もらってたからなんだな。つっても別に太っ腹な保育園だったというわけではなく、恐らく月謝とかに代金が含まれてて、「こどものとも」という月刊の絵本雑誌を定期購読という形にしてたんではないかと睨んでいる。まあ最近気付いたんだけど。
人生で「こどものとも」に触れてしまう人はわりかし多いと思う。
だるまちゃんがどーとかいうのも多分こどものともだし。別に雑誌として買わなくても「こどものとも傑作集」とかでわざわざ薄っぺらいモノをハードカバーの立派な装丁な本に蘇らせたりしてくれるし。福音館が。
だから毎月もらう絵本をのけといたわけだな。気に入ったヤツをずーっと。家を引っ越したときに減ったけど(更に気に入るのだけよって持っていったから)、結局小学3年くらいまで「はなのあなのはなし」を含め10冊前後は確保していた。が、親の命令でだったかなんだかとにかく捨ててしまったんだよ。今考えるとなんて勿体無いと思うし当時も躊躇した覚えがあるが兎にも角にも中学になる頃には綺麗さっぱり「こどものとも」シリーズはうちの家からなくなっていた。
ただ、それらを捨てたのは、結果的には「強制」ではなかったはずだ。捨てなさいと言われて嫌だと拒否することはできたはずで、結局捨てることに踏み切ったのは私の意志だった。そんなに汚れても破れてもいない、保存状態のいい絵本だったはずだのにー。
が。
その中で、「私が捨てるはずないのにいつの間にかなくなっていた」絵本が1つある。
他のものに比べると傷み具合は大変なもので、ぶっちゃけ分解寸前とゆーかもう少し経てば本とは呼べなくなる代物になりかけていた。
それがすごい好きだった。
おかんに言わせるなら、
「絵本を読んであげようというと必ずそれを持ってきた。読むの飽きた」
というほど偏執的に固執していた本だった。読みすぎでボロボロになっていたらしい。
タイトルは「ぶたぶたくんのおかいもの」。
内容?
ぶたが買い物に行く話さ!
ああそうさ!初めてのおつかい・子豚編さ!
いやほんとに、単に子豚がおつかいにいって、パンと野菜とお菓子を買う過程で小熊と子カラスと合流し楽しく帰路についたらおかんが家の外で待ってて「ただいま」って話。
聞けば単純なものだが、気に入っていたのは恐らく話ではなく目的地の店で待ち構える人間なんだろう。パン屋のおっさんはにこにこしてて、八百屋のお姉さんはやたら早口で、お菓子屋のばあさんは超スローな喋りを披露する。もちろん朗読する際に彼らの喋りは再現されるわけで、声に出すことにより緩急のつくこの絵本を「読んでもらう」ことが楽しみになることは想像に難くない。
で、最終ページに「ぶたぶたくんの歩いた道」という地図が見開きで登場する。
そんなオマケもポイント高くしてくれたのだろう。
「いやいやえん」においていつもの幼稚園といやいやえんの位置関係の地図を示してくれてたらちょっと嬉しかったのに、ってのと同じ心理だろ。(「いやいやえん」・・・幼稚園でやたらに特定のものを理不尽に嫌がる子を強制的にぶちこみ、好き嫌いを徹底的に是正する悪魔のような施設。うろ覚えだが、主役の男の子は「赤が嫌い」というだけでそこにぶちこまれた。消防車の絵を書くときに赤のクレヨンを没収されるなどの陰湿な嫌がらせを受け、赤を嫌いにはなりません、と性格矯正させられる。というほのぼのした絵本です)
「ぶたぶたくん」の傑作集を見つけ購入したのは数年前のこと。
そして表紙を見て愕然としました。
こんなだから。
なんでこの豚こんなにリアルなんだ!絵本なんだからもっとこう、素敵にデフォルメされた子豚ちゃんにしてくれたっていいだろう!ちなみに足の関節どうなってんだ。
で、1ページ目を読んで泣けてきた。
要約すると、「『ぶたぶた』というのが口癖のためにぶたぶたくんと仇名のついた彼。本当の名前もあるんだが、その名前をつけてあげた母親ですらその名を忘れぶたぶたくんと呼んでいるものだから他の名前はなくなってしまったのさ」。
どうよ?
これから先の内容とは全く関係ない注釈。書かなければ誰も知りえなかった悲劇の話だ。
何故母親すら忘れてんだよ。
で、圧巻はパン屋のかおぱんなわけだが
パン屋に並ぶ巨大なパンたちに顔が!!怖い!!とても怖い!!
おじさんとぶたぶたくんの対比、看板の文字、ついでに道幅、全てがどうかしてしまったんではないかと思うほどシュールな世界じゃあないですか。
こんな面白い絵本、生涯の宝にせずしてなんとする。
ということで、私の人生のベストオブ絵本は「ぶたぶたくんのおかいもの」に決定してるわけなんだけど、実は思い出の中にそれと双璧をなす素晴らしい絵本が存在してるんですよ。
思い出を語るなら────
保育園の本棚に置いてあったその本は、園児たちに大人気だった。もの凄く人気だった。どれくらいかって、それを読むために順番待ちになるくらい。
本当にいつでも順番待ちだったんだってば。絶対誰かがそれ読んでて、手に取ることが出来ればその日は幸福と謳われるくらいひっぱりだこな絵本。勿論私も好きだったと思う。好きだったというか面白かったという記憶が鮮烈にあって、当時いた保育園から違う幼稚園に編入するときに心残りだったのはその本を見られなくなることだった、とナレーションいれてもいいくらいだ。
保育園最後の日、みんなが昼寝する時間、私は起きててカーテンひいた薄暗闇の中迎えのおかんを待ってるわけですよ。
教室中は寝こけている園児たち。私は椅子に座っている。床にははさみとか画用紙とか私物の入ってる大きな袋が置いてあって、ただおかんを待つのは暇だから本を読むわけやね。そりゃ勿論競争する相手がいないのだからその本を読んでいた。何回も。
それが、あの保育園の最後から2番目の想い出だよ。
ちなみに1番目は袋の底に黄色のハサミがあったことです。・・・その映像がやけに鮮烈なんで、何故鮮烈なのかはよくわからんがまあハサミ持って帰っていいよってのが一番覚えていることなのだよ。そのハサミは今も使ってますが。
で、とにかく絵本の話で、それこそがあの「おおきなおおきなおいも」。
私が記憶してた内容は、「園児が超でかい芋を掘る想像したら本当にでかい芋が掘れて、ヘリで幼稚園に運んで喰った」ってこと。
しかし実際は、「雨で芋掘りに行けなくなったので、どんな芋が掘れるか園児たちが妄想した」でした。
「園児の突飛な妄想」にとうの演じたちが酔いしれていたということなのかね。
←これを先日本屋で見つけたときは、通り過ぎてしまい慌てて引き返し手にとってレジに走ったよ。いや、内容とか値段とか言ってる場合じゃない。所持することが現代人のステータスだ。
だって、しょっぱなから
これだもん。
ああ・・・一筆書きで書ける人物たちのなんと素晴らしいことか。ギャフンです。腰抜かしました、私。
数多くの絵本の中で、こんなにもやる気のない(いやむしろやる気満々なんかもしれんが)絵があったろうか。色すら塗られていない。永遠に続く白と黒のエクスタシー。
っていうかじっと見つづけているとこの保母不気味だ。
その上、こいつらは何の遠慮もなく禁じ手を使ってきやがる。
雨降って芋掘りに行けずつまんないとごねる子供に、「芋は1日寝るとむくっと大きくなって・・・(中略)・・・いっぱい大きくなって待っててくれる」と諭す。じゃあどのくらい大きくなるのか?このくらいか?これくらいか?そんなのじゃ表現できない。絵を書こう。芋の絵を。紙をつないで絵を書こう。
そうしてやりやがったんだ、園児たち。そりゃもう延々約13ページにわたり
こんなことになってしまう。
この、芋を表現する赤紫っぽい色の、なんと「さつまいも感」溢れることか!
周りが白と黒い線だけで構成される画面だからこそ、芋の色が際立って目に入りやたら生々しい芋を眼前に展開することに成功している。
そうかあ・・・白と黒のコントラストはこの時のためだね?
巨大な紙はどこから?とか考えては駄目だ。とにかく芋はでかいのだ。
多分13ページにわたる「巨大感」の演出に心臓鷲掴みにされたのだろうて。88ページのうちの13ページですよ。考えてくださいよ。ジョジョで「オラオラオラ」ってページが13ページも続いてる、みたいなもんですよ。ディオだって死にますよ、そんだけ殴られたら。
だから私は「おおきなおおきなおいも」にヤられてしまいました。
芋の絵完成後に更に妄想の翼をはためかせる園児たち。どうやって掘る?どうやって持ってくる?持ってきて何をする・・・・・・?
いやもう子供ってすごいね。感心するよ。
絵を描いたヤツもすごいけど。誰でもかけそうなのに絶対に真似のできない表現してくれてますから。
そんでもって投げやり感ほとばしるラストも必見。オチもあるのだかないのだか。
突っ走りすぎて何かを見失ったとしか言いようのない、けれど子供ってこんなだよな、と思わせるわけのわからないパワーに満ち溢れた芋の話が大好きだ!
とりあえず本当に芋掘りに行ったとき、園児たちの悲嘆は計り知れないものだと思うけどね。
そんなこんなな絵本だが、私は声を大にしていいたい。
絵本の双璧「ぶたぶたくんのおかいもの」「おおきなおおきなおいも」、これさえあればばっちりだ。
何はなくともそろえるべきだ。
「ぐりとぐら」?「おおきなき」?「いやいやえん」?「もちもちのき」?「100万回死んだ猫」?「怒り地蔵」?そこらの学習用絵本?プラレール?そんなものがなんぼのものか。
時代は豚の買い物と大きな芋なんですよ。
子供全員にこれを買い与えるべきですよ。
とくに「ぶたぶたくん」は朗読するために書かれたようなものだから、声に出し感情を込めやたらリアルな豚とかに命を吹き込んでやって欲しいものだ。
ついでに「はなのあなのはなし」もあれば最高ですが。
で、どちらも尋常ならざるほどに気に入ってしまったら、桜小路みたいになるかもしんないんで気をつけた方がいいけどね。
関係ないけど「大昔、そば粉を引くのは骨が折れたよ」と語っていたから、「石臼まわすと骨が折れるのか!危険だ。危険すぎる」と思わせやがった本って「ほねのはなし」とかそんなやつなんだったっけ。
おわり
2002年9月25日
参考/「ぶたぶたくんのおかいもの」土方久功(福音館書店)1970年
「おおきなおおきなおいも」赤羽末吉(福音館書店)1972年