素敵な味皇料理会会長を支援しよう。
再録完全版
料理漫画ってなんのためにあると思います?
日本で代表的に有名なのは「美味しんぼ」だよな。アニメになるわドラマになるわ、なんか知らんが原作は永遠に続いていくし。んで「クッキングパパ」?この二つは恐らく料理漫画ニ大巨頭だと思うんですよ。
そりゃ他にもいろいろあったけど。「将太の寿司」とか。あとなんか中華料理のアニメあったよな。なんだったっけか。────いや、なんか思い出そうとするとどうしても「ちゅうかなイパネマ」とかいう珍妙な単語が思い出されるので自分が嫌になってきた。知ってる人は、「ああ、あれね」と適当に思っててください。
で。
これらの漫画って、何かの役に立ってるんですかね。
いや、たかが漫画なんだから、実際に役に立たなくてもいいのは知っている。「今日の料理」とか「男の食彩」じゃないんだから、別に話が面白ければ生活の役に立たなくてもいいことはわかっている。漫画自体は面白いことがすなわち人生の役に立っているということだもんな。
でも、「美味しんぼ」にしろ、その詳細なまでのレシピとか載ってるから、絶対誰か作ろうとしたことあったと思うんだよ。実際作ってた人もいると思う。でもあれって、庶民には手に入れることのできん食材ばっかでなんか異世界の話なんだよ。バブルの頃最盛期だった、っていう雰囲気満点だよネ。
なんかすごい鶏とかね。山岡さんの死んだ母親は、いっつもお茶の葉をいぶっていたしね。あと、米炊くときに、「同じ大きさの粒を選ぶと炊き上がりがそろって美味いから」って、何合もの米を黒いお盆の上にのっけて一粒ずつ目で検査して形をそろえるのはどうかと思う。私の知る中で、一番感動した料理人でした。
その点「クッキングパパ」はかなり庶民派で役に立ったと思われる。話もなんだかほのぼのした感じで良かったんじゃないか?
どっちにしろ「食」で物事片付ける漫画たちではあるわけだ。
でね。
もう一つ、重要なものを忘れてはいけない。
私が知っている中で、最も生活にとって何の役にもたたないアニメがあった。奇想天外なところはいいが、逆にそれによってリアリティーの皆無になってしまった輝かしいアニメ。
そりゃもちろん、我らが「ミスター味っ子」さ。(唐突にアニメになってすまんですが、私、「ミスター味っ子」って原作見たことないんですよ。表紙くらいしか。なんか原作とは似ても似つかぬ話だとかいうのをちらほら耳にしてるけど、そーいうことで原作については一切触れません。よろしく。)
ありゃあ、凄かったね。日の出食堂の中学生・味吉陽一が、ろくに学校に行く描写もなく食堂を切り盛りしたり料理バトルしたりするのが良かった。放浪の旅をする数馬も良かった。フランス料理の兄さんはかっこよかった。
なにより敵として出てくる馬鹿な料理人もまたいい味だしていた。
記憶に残るのは「ロボコック」と「瀬戸内少年料理団」ですか。なんだそれ。
弁当はあったかいのがいいからって、弁当の下底に石灰と水いれて化学反応起こさせて食べるときに温かくさせる、という方法には感激した(現在北国のどっかの駅弁かなんかで採用されているという噂を聞いた)。タレメさんは、結婚を許してもらうためにライスコロッケを作った。焼き鳥対決も豆腐対決も良かったなあ…と思う昨今、この漫画を妙なものにしてしまった代表的人物が一人、いるんですよね。
私はこの人がすごい好きで好きで。
────でも、変なんだよ。
その人とは味皇様です。ちなみに、たまに味頭巾もやってました。
味皇が主催する味皇料理会というのがあって、それに対抗するのが味将軍のグループ。かたや日本の暖かい手作り料理の組合で、かたや西洋の冷たい機械的な部分が無闇に露出した大量生産タイプの悪者軍団。どう見ても外国の人のような風体の味将軍には驚いたが(だって、絶対あれって吸血鬼のコスプレやん)、この顔の青白い男が和服姿の味皇様の弟だったことには更に驚いたさ。
なんか、弟の方が兄に反発してて、味皇料理会を潰したかったんだよ。
潰せなかったけど。
で。
私はこのアニメのある部分について、すっごく思い入れがあるんですよ。
所謂、兄弟愛ってヤツですわ。
料理アニメなんだから料理のこと書けって?
だって、あれ、料理作ってるけど理論的にそれでいいのか?という部分満載だったよ。そんなことより、彼らの人間関係の方が余程面白かったし、むしろテーマとしてはそっちにあるんじゃなかろうか。
で、それを如実に示す人間関係を持っているのが、味皇兄弟。
小さい頃に両親を亡くし、味皇たちは兄さんに育てられた。そう。彼らは3人兄弟だったのだ。
3人は戦争にかりだされ、終戦の後全員奇跡的に無事で自分たちの家に帰ってくる。
ここの一番上の兄さんが、そりゃあもうかっこいい。何故かちょっと長髪気味だったりしてセクシーだ。
で、彼らの家はもともと定食屋で、結構立派な造りの建物だった。その一番上の兄さんが戦地から戻ってくると、ある程度焼け野原になった場所に自分たちの家は奇跡的に残っていた。
やった!なんて幸運!
そう思って勢いよくドアを開け、弟たちと再会しようと思ったら────なんと、その中は焼け野原だったのだ!!
ドア側の壁一枚だけが焼け残ってたんですよ。奇跡的に。これほど奇跡的な話があろうか。
この時の兄さんの気持ちは計り知れません。かなりのショックを受け呆然としてたし。開けた途端、天国から地獄にまっ逆さまなわけじゃん。いやあこの時は笑ったね。マジで。
3人はとりあえず、その中途半端に全壊した家で再会し、いつかこの場所に立派な定食屋をつくろうと誓い合う。何故か筋肉ムキムキなむさ苦しい男たちが抱き合って誓い合う姿は、ジョジョの奇妙な冒険第3部最終回の最後のページで、皆が肩を抱き合って再会を約束しあう場面を彷彿させます。かっこいいけどね、暑苦しい。
結論として、定食屋は作れませんでした。
戦後の時期です。孤児が道端にあふれかえっているわけですよ。そんな光景を長男が見過ごすことができるだろうか?できるわけないわな。
だから、その子たちを拾ってきては養っていた。3人で稼ぐわけだが、その稼ぎは皆子供たちの食事と化した。定食屋なんて経営してる暇なんかない。
雨の日に、のちの味将軍は兄さんにくってかかった。
今のままじゃ自分たちの夢はどうなるんだ!と。
しかし、兄さんは何も言わない。そして、のちの味皇は2人の間に割って入った。
────おまえは知っているのか?兄さんが自分の食料までもを子供たちに分け与えていることを。兄さんの気持ちをくんでやろうよ。なんて弟をなだめる兄。・・・そう。兄さんは自分の食料まで子供たちに分け与えていたのだ。
しかし悲しいかな、予想通り兄さんは栄養失調で倒れて寝込み、そのまま死んだ。
弟たち2人の嘆きはそりゃ大変なものだったが、この出来事により兄弟の歩む道は正反対のものになっていく。それが、冒頭の味皇料理会と味将軍グループになるわけだが。
味皇は兄さんの意思を継ぎ、思いやりと情熱のこもった暖かい料理を目指した。
味将軍は、兄さんの命を奪った「食」を憎み、暖かい料理とは対極のものを作ることを目指した。なんなんだそりゃ。
結局のところ2人ともが食の道を目指していったわけだ。
────なんかさ、この2人の、兄さんに対する愛情が伝わってきませんか。
特に味将軍は、例えるなら聖帝サウザーの師匠への歪んだ愛みたいな感じ。
味将軍が味皇料理会になし崩しのように負けたあと、彼は心を入れ替えたらしく兄のもとをよく訪れた。しかしそこにも更なる悲劇が待っていた。
味皇は自分の求める味を探すために旅に出て、あろうことか旅先で記憶喪失になって帰ってきていたのだ(まあその件でも、陽一と味将軍の部下との間で一悶着あったが)。
味将軍は兄さんの横で、「懐かしいですね・・・兄さん」としっぷい声でよく語っていた。服装としては相変わらず吸血鬼姿。そんな人間が日本家屋の縁側で座っている姿は笑いを誘ったが、老境にさしかかっている2人の兄弟が並んでいる姿はそれ以上に切なかった。
戦前戦後を協力しあって生き抜きぬいてきた2人。
優しくたくましかった兄さんを目の前で死なせてしまい、そのことによりお互い正反対の食の道へ進んだ2人が今こうやって並んでいる。本当は味将軍だって兄さんのことを憎みたくはなかったはずなのだ。こうやって並んで、昔を懐かしんだり笑ったり喧嘩したりしたかったはずだろう。兄さんである味皇は、逆の道へ行った弟をなんとかこっちの世界へ引きずり込み和解したかったに違いない。
しかし兄さんは記憶喪失────嗚呼、運命とはなんと皮肉なものか。
こうしてしみじみ思い返すと、「ミスター味っ子」って、料理している姿よりも喧嘩したり悩んだり怒ったり泣いたりしてた場面の方をよく思い出す。
中でも一番強烈だったのが味皇兄弟だったというだけで、なんだか味皇がからむと悲劇が起こりやすいということもよく分かった。
役に立つ立たないという以前に、このアニメは「食」より「食にからむ凄まじき人間関係」を表現したかったのではないだろうか。
だって、数馬って幼稚園児の年齢ででかい包丁持って、「わいの……わいの父ちゃんになってーや」って味頭巾に懇願するんだよ。しかもその願いは聞き届けられない。
もう涙止まりません。
食べることは大事だと言われる。当たり前か。
まあそれは、栄養を取るためとか、生きてくためとか、そういうことじゃない。みんなと机を囲んでわいわい食事することは、肉体的にも精神的にもいいことなのだと偉い学者は言っている。
すごい食材をどっかから持ってきて、めちゃめちゃ美味そうなもんを作ってみせるだけなんて、なんか理不尽じゃん。しかも多分それは、値段が高いから美味く感じられるだけであって、別段そこまでいい味じゃあないんだよ。と思う。
そーいうことに力をいれるんだったら、味っ子のようにここにあるもので奇天烈な料理作ってしまった方がすっきりするし、その方が面白い。だって、どうせできっこないもん、そんな料理。単に食材が絶対手に入らないだけっていう状況よりは精神衛生にいいぞ。
そのうえ異様な人間関係とか、妙な風体や地位の人物が跋扈してたりしたらもう、何も言うこたないでしょう。
料理漫画ってかくあるべきだと常々思いますが、さてどちらのテーマが作品としてはあっているのでしょうか。
とりあえず、味皇の探しもとめていた味が、単なる「おふくろの味」だったことには腰砕け────いや、感動しました。
んー、おふくろの味というかですね、私はそう思ったんです。
ある人に言わせるなら、「自分のために一生懸命作ってくれた温かい料理」ということになるらしいです。私の上記までの妄想めいた話について、奥深いつっこみをくれてありがとうございます。そのつっこみを見る限り、私よりその人が書いた方が読者に訴える力があるよな、とも思いました。まだまだ文章として限りなく未熟な自分ということです。
まあ、それはよくて、どっちにしろ同じことだと私は思うということです。
味皇と味っ子はカツ丼で出会い、カツ丼でしめてくれました。
その間にいろんな事件や試練がありました。
味っ子は成長し、味皇に求めていた料理を作りました。
でもなー、……この感動的な場面にアレですが、なんつーか……確かにその人のために作ったのかもしんないけど、それは味を左右するもんなんですか?私はどっちかというと、お互いがお互いに対する感情で左右されるもんと思うのですが。
だって、味皇の論理だと、もし万が一全く知らない人が店の厨房の奥深くで味皇に見られないように味皇のためだけを思って作った料理食っても記憶取り戻さないといけないっつーことでしょう?
それって味に反映するんですかね?
────するんだろうなあ……するんだよな?まあいいけど…うーん。
とりあえず、この一点だけとっても、「ミスター味っ子」が何を求めて描かれていたのかに勘付くのは容易っつーこと。
「食」と「妙な人間関係」────この二つが融合した完璧なジャパニメーションこそが「ミスター味っ子」だったのです。
この事実をいつまでも語り継いでいきたいものですな。
おわり。