お伽噺の恐怖


 昔話ってのがあるじゃないですか。
 別に童話でもいいけど。なんか、昔に作られた教訓めいたお話たち。
 外国で言えばイソップさんとかアンデルセンさんとかで、日本でいえば今昔物語とか鳥獣戯画とかマンガ日本昔話とかになるんですかね。なんか違う気もかなりするけれど。
 で。
 子供ってそういう話を至極当然に真面目に聞きますよね。
 怖ければかなり怖いし、おもしろければ笑うし、教訓を感じ取ったなら以後気をつけるし。
 大体私自身が印象に残っているのは、今昔物語の児童書の第二話目の話です。これは子供心にかなり怖かったことをはっきりと覚えてます。
 おおまかな粗筋としては、なんか毎日山の上にある岩に御参りにいく婆さんがいるんですよ。で、村の人がなんで毎日山に登るのか聞いたんだ。
 そしたら婆さん、
 「もし、あの岩の裏に血がついていたら、ふもとの村が山津波にのまれてしまうから、それを防ぐために毎日確認しにいっているのだ」
といいました。
 若者は大笑い。だってそんなことあるわけがない。
 で、試しに若者は血をつけて、婆さんを笑い者にしようとたくらみます。
 案の定、婆さんは岩の血を見て恐慌状態に陥り、早く逃げないと山津波がきて村が流されるといって村中を走り回ります。
 若者はもちろん信用せずに大笑い。だって、あれは故意につけたものだから。
 とりあえず、婆さんの言を信じた少数の者だけが村を脱出していきます。
 で。
 直後村を地震がおそい、山津波がきて、婆さんを信用しなかった人たちはみんな死んでしまいました。めでたしめでたし
────という感じ。
 めでたくねえ!!
 ・・・・・・かなり怖かったんですよ、これ。
 大体「山津波」って何かわかんなかった。山に波がくるのか。こええ。マジで思ってました。
 でも、今、そんな話を読んでもきっと、理不尽さくらいしか感じないでしょう。
 だってもう、そんな話まともに聞いて、怒ったり笑ったり感想言ったりするような、そんな心の余裕なんて無いに等しいんですから。
 これは人間としていいことなのか悪いことなのか、よくわかんないですけど、日常暮らしていくためには仕方のないことなんでしょう。
 さて。
 心の余裕のなくなった私は、随分昔────もう3年位前になるか?とある昔話を知る機会に恵まれました。
 今回はこれについて、私自身の意見もまじえ、語っていきたいよなあと考える次第です。
 まあみなさん、少しの駄文にお付き合いください。



注※以下の話は、教職課程において教材として使われた「授業の構成の仕方の一例」みたいな感じのビデオを参考にしています。
題「あとかくしの雪」
 私自身原文を見たわけではないので、ちょっとしたアレンジを付け加えつつ、多分こうであろうという憶測のもとに書き進めていきたいと思います。
 この話、とりあえず貧乏な村から始まります。
 そして、冬の寒い晩、その村に旅人がのこのこやってきます。
 この寒い中野宿することは万死に値する。
 旅人は一夜の宿を探すため、とりあえず目の前にあった農家の扉を叩いた。
 中からは百姓が顔を出す。
 「すまんが、一晩泊めてもらえないだろうか」
 旅人の願いに、
 「ああええよ。まあ入りねえ」
と百姓は快く中に入れてあげましたよ。
 百姓は、まあ、何も無いけど泊まっていきなと言ったところで、本当に何も出さないというわけにはいかない。っていうか、もてなししないのは日本人としてのアイデンティティを崩壊させると言っても過言ではない────と思ったのだろう。
 いや、そうとしか考えられない。
 彼は何か出そうとしたが、とにかく滅茶苦茶貧乏な家だから、何も無い。いや、何も無いというと嘘になるかもしれないが、明日の自分の糧を他人にあげるというとこまで献身的に奉仕してはまずいだろう。
 こっちだって生きてんだし。
 悩んだ末、百姓は隣の家までいって、大根を一本盗んできますよ。
 そしてその大根を焼き、旅人にふるまったのです。
 旅人は「うまいうまい」と芯から美味そうに言いながらその大根焼きを喰ったそうな。
 そして、そんな優しい行いをした百姓のために、泥棒したさいについた足跡を、おりから降り始めた雪がすうっと消していったそうな。
 この地方では毎年この日になると、百姓の行いを祝ってどの家でも大根焼きを喰うらしい。なんか変な話だ。しかも、言い伝わってるってことは泥棒ばれてんじゃん。そのうえ大根焼きって不味いぞ。百姓のせいで毎年不味い飯喰う羽目になるこの地方の人も大変だ。
 雪なんかふった日には、赤飯を炊いて祝う家もあるらしい。
 何に対して祝うのかは知らん。
 めでたしめでたし。



 ────なんていう話だったんですね。
 これはまあ、ある小学生の授業風景で取り扱われていた話です。
 小学生たちは言います。口々に。
 「この話、なんか優しい
 優しい。何が?
 もちろん、百姓のした行いが。そして、雪のしてくれた行いが。
 自分ちは貧乏。でも泊めてあげた。大根焼きをだしてくれた。彼、滅茶苦茶いいヤツじゃないか。
 みんなそう言いました。
 それでもまあ、いいです。
 昔話っていうのは、きっと、私がこだわるようなとこでなく、もっと広い視野にたって人間としてのあり方についてとかを問うものなんでしょう。
 その点で言えば、そりゃこの話は結構泣かせる話だ。
 でもね。
 泥棒っていけないことじやないか?百姓よ。
 自分ちは貧乏。でも他の家だって貧乏じゃないのか?それとも隣の家だけ妙に豪農だったのか?どっちにしろ人の敷地内に勝手に入って大根取ってくるって行為は、犯罪意外のナニモノでもないではないか!
 窃盗である。いわゆる。
 そして、雪はそれを助けたわけで幇助だよな。
 絶対変だと思うんですよ、これ。
 要するに、「自分の体面を保つためなら、人の物を盗んできても許される」ということにならないだろうか。そんなことを小学生にとくとくと語っていいもんなんだろうか。しかも、「これは優しい話だ」と言いきってしまうあたり────ああああ、やばいよお子様。みんな洗脳されてるよ、これに。
 そんなことをしみじみ思ってビデオ見てたら、私はやっぱり素直に話を受け入れるココロをなくしてしまったんだね、心の余裕全然ないや、あははと思いました。
 っていうか、ビデオの主旨とは全然違うあさってなことばかりに目がいって仕方なかったんですが(こういうビデオのわりにカメラアングルとカット割りがうまいとか、このクラス可愛い子いないなあとか、この先生脂っぽそうとか、この学校えらい古い型のテレビ置いてるなあとか)。
 でも本当に、昔話って、いわゆる教訓とかが入ってるものが多いでしょ。冒頭の話だって、結局、人の言うことは素直に信じましょうってことが言いたかったんだと思うし。
 違うのか?
 そう考えると、この「あとかくしの雪」は何か違う気がして仕方なかった一品でした。


 これをきっかけに他の話についてもいくつか思い出してみると、なんかやっぱ変なんですよ。
 「浦島太郎」。
 彼、亀を助けたご褒美に、竜宮城まで連れていってもらえるわけですよね。で、お礼ということでもてなしてもらい、帰りがけにお土産をもらうわけです。
 でも、それ、絶対に開けるなと言われる。
 箱って開けるためにあるんじゃん?
 それを開けるなってことは、拷問の一種か?
 しかも開けたら爺いになるし。
 亀を助けたという善行のわりに、最終的に不幸続きになってしまうのはかわいそうだ。
 この話の言いたいことはなんだろう。
 うまい話にゃ裏があるとか?
 禍福は糾える縄のごとしとか。
 というより、漁師の浦島太郎にこれまでの復讐をするために魚たちが一致団結、仕返しをしたといったところが正しいのか。
 じゃ、これの教訓は「仕返しする時には大勢で」ということで。
 それを結論すると、「さるかに合戦」とかいうのも同じ部類に入るはずだ。柿の種は確かに将来性はあっても今現在腹がふくれるわけじゃない。しかも育てたやつ猿にとられたしね。
 仕返しするときには大勢で。
 大勢でしたよね。よってたかって猿を嬲り倒していましたな。
 これの応用編が「かちかち山」でしょうか。
 この話は完全には記憶してないけど、とにかくタヌキが悪いことするんだよ。婆さん殺して爺さんに食べさせたんだっけ。そして、その戒めのためにウサギがでばってきて、いろいろ仕返ししちゃうというような。
 あれはもう、ウサギひでえよ、あっさり殺してくれえ、という一言につきる。
 タヌキの背負っていたものに火をつけ、その火傷のあとになんか絶対悪化するっぽいものを塗りタヌキを弱らせた後、泥の船に乗せて海の底へぶくぶくと沈めていく。
 そりゃまあタヌキは悪い奴だった。
 でもその仕返しとしては…辛いよな。
 ひどいじゃないかウサギ。
 これの教訓ってなんだと思います?
 あまりにもひどいことをすると、より外道な奴が自分の前に立ちふさがって鬼よりひどいことをするから気をつけた方がいいってことか。
 うむ。
 それとも自分もひどいことをしたんだから、何されても文句は言うな、とそう言いたいのか。
 あれはある意味怖いと思う。


 こういうふうに一つ一つ考えていくと、なんだかやたら復讐ものって多くないか?
 舌きりすずめもなんかそんな要素がありそう。
 あとはいい老人夫婦と悪い老人夫婦が隣同士で住んでて云々という話か。
 なんだかお話では「悪いお爺さんは」とか「いいおばあさんは」とか言っている。
 しかしまあ、人間をすぱーんっといい悪いで分類できるもんなんだろうか。しかも悪いお爺さんとかって、最終的に取り返しがつかないぐらい悪い状況へ陥れられることが多い。
 別に世間において、「ずる賢い」とかはそうそう悪いことじゃないだろう。一種世間を渡っていくのに必要なこともある。
 それなのに。
 それなのに、「悪い」の一言で、老人夫婦のこれからの余生を切り捨てるんだよ昔話は。
 「おむすびころころ」なんて、最後、悪い爺さんは暗い穴ぐらん中でもぐらになて、ぐるぐる回る羽目になってんだよ。ひどいじゃないか。
 昔話はとてもひどい。
 それはまあ、イソップとかにもいえることで、これは残酷なところはあえて削っている────というのは有名な話ですよな。
 こんな感じの話を、「昔話をしよう」とかいって子供に語るのっていいことなんでしょうか。
 私的にはちょっと怖いよね、と思う。
 っていうか納得いかねえんだよ。
 一生懸命自分なりの生活を営んでいこうとしている者に対し、あまりにも過酷なことをしすぎなんじゃなかろうか。
 昔話。
 この穏やかそうな響きの中に隠れた、絶望と狂気をみなさんもいち早くわかってください。
 そして、昔話にだまされないよう生きていきたいと思います。みなさんも騙されないように気をつけてください。


おわり。

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