一休さんキャラに対する幾つかの事柄



@ 新右衛門

 アニメ「一休さん」における蜷川新右衛門の役割は大きい。
 とは思いませんか。
 私は思う。「一休さん」はなによりもまず「新右衛門さん」なのだ。
 なんのことやら分からないが。
 このアニメがナニを主軸として動くか、それはなんらかの事件と一休のとんちだ。鮮やかなとんちで問題解決を行う姿が子供たちの心を鷲掴みにするのだし、日本人にありがちな「小さい者が大きい者を倒すことが素晴らしい」という精神に則って考えてみても、このアニメが売れる要因は自ずと明らかになるだろう。
 将軍の難問に小坊主が立ち向かう。
 悪徳商人の意地悪を小僧が全力で打ち負かす。
 貧乏で可哀相な人たちを、権力者の手から無理矢理救う。
 勧善懲悪、お涙頂戴、そりゃあもう日本人の心をがっしりつかむアイテムをこんなにまで揃えた話はそうそうないさ。しかも一休の身の上話だけでも善良な小市民から涙をもらえるなんて、こんなおいしい人物はいない。
 お局様と離れて暮らさなければならない可哀相な一休。
 それでも健気に安國寺で大活躍する一休。
 そして、自らを飛躍させるために自分で旅立つことを決めた一休。
 さすが文部省認定アニメになっただけのことはある。日本人の心、人間としての心、いろんなモノを学べるいい話さ。
 で。
 ここまで一休を賞賛する私だが、別に一休が好きなわけでは全くない。
 むしろ、あんまりどうでもいい。「一休さん」は彼がいなければ成り立たない話の構造をしており、憎めないキャラだからこそ、広く一般的に別に嫌われていないだけであって一休さん自体を愛している人ってまずいないんじゃないだろうか。いや、いたらごめん。
 一休以外のキャラの方が絶対にいいし、かっこいいし、味がある。
 一度やんちゃ姫が見合いをしたことがあって、その時の相手の少年なんて、いい味だし過ぎてて惚れました。
 そんな中でもやはりダントツで人気を博すのは新右衛門さんじゃないでしょうか。
 人気ではなくとも、作品への登場回数、安國寺への係わり方、将軍様への奉仕、それとなく出てきて活躍してるから記憶に残りやすいし愛嬌のあるキャラとしては面白い。
 アゴがわれてると言えばそれはもう新右衛門さんが第一人者。
 「〜でござるよ」という語尾は、某明治剣客ではなく新右衛門さんのボキャブラリーの一つ。
 この人は一休さん世代(現在20代以上の方々かしら?)に絶大な影響力を誇っていたと私には思えて仕方ない。
 そんな新右衛門さんだが、「一休さん」の中で重要な役割を占めていた。
 当初、小生意気なとんち小僧をいかに倒してやるか、そんな敵キャラとして登場したフシのある彼だが、絶対にかなわないと知るや信奉者に姿を変え、毎日毎晩のように嬉しそうにとんち問答をこさえては安國寺へやってくるようになる。仕事してるのか?こいつ、という疑問は考えない。
 寺社奉行という役職を利用して寺訪問していたように思えばいいのだ。
 まあ寺社奉行とは「寺社を監察するところ」みたいなものらしい。っていうか、天下の山川出版社の日本史教科書にも小学館の辞書にもそれ以上のことが書いてないんで、現時点ではよくわからん。鎌倉時代から存在はあるらしいが、役職として正規に教科書に出てくるのは江戸時代から。でもなんか重要で権力のある部署だという話を記憶しているのだが、それは誰から聞いたんだったけ。・・・まあいいか。
 そんな位置にいる新右衛門さんだから、一休と親しくなっていくいくのは道理。将軍様もそういう役職にいるからこそ新右衛門さんを使って一休を金閣寺へ呼びに行かせていたのだ。
 が。
 この人番組中の幕府に対する位置がちょっと変。
 寺社奉行だから奉行所で仕事してればいいじゃん。なのに、この人、金閣寺で将軍様の隣にいることが多い。
 しかもそれは当然のことで、そこで働く下っ端たちは新右衛門さんをかなり頼りにしている。まあ、将軍様のご機嫌をとるのがうまいからかもしれない。
 そしてこの足利義満、かなりな怠惰マンだ。
 いつも一休を負かすことばかり考え、新右衛門さんから「政務にはげんでください」と言われなければ政治をしない。遊んでばかりいるし、真面目に何かをしているところを映したとこなんて皆無と言っていいだろう。
 最終回にしたところで、一休に負けて悔しがってただけだったし。
 まあそれだけ、室町時代における義満の時代が、一番平和で安定した時代だったということになるかもしれない。歴史的に見れば南北朝は統一され、海外との貿易も確立し、将軍という権力が最も大きくなったときだ。
 将軍がそこまで勤勉ならなくても良かった時代かもしれないな。
 まあ、そんな金閣寺での政治、ある時異様な混乱を招くことになる。
 なんらかの事情で新右衛門さんが何日も留守にしたことがあったのだ。一休のお使いに同行していたのか、単に他のことに忙しかったのか、それはよくわからないが。
 すると、部下たちはかなり困っていた。何故かって?
 「あれはどうするんだったっけ」
 「それは蜷川殿しかわからない」
 「ああ、あれをするのを忘れていた」
 「いつも蜷川殿がするから遣り残していたんだ」
 「誰が将軍様の世話をするんだ」
 「いつもなら蜷川殿がやってくれたのに」
 「蜷川殿はまだ帰ってこないのか」
 「蜷川殿が帰ってこないとなにもかも滞ってしまう!」

 ・・・とかなんとか。
 こんな会話が平気で横行していた。嘘じゃないよ。ある回の番組冒頭で、脇役の侍たちが困り顔で口々に言ってたんだもん。ありゃあ衝撃的な映像だったよなあ。
 要するに、新右衛門さんがいないと政務がうまくいかん。それくらいの存在で彼は金閣寺に君臨しているようなのだ。
 だから将軍様が堕落しててもなんとなく政治はうまくいっていたのさ。
 この新右衛門さんという人は日々の業務をこなしつつ、将軍様の世話をし、政治の重要な部分を管理し、一休さんとじゃれあっていたわけだ。凄い人だ。っていうか元気な人だ。
 こーいうことになるから、全てのことを一人の人が統括しちゃいけないんだよね────という一般論はこの際置いておこう。
 確かに新右衛門さんはすごい。アゴが割れてるだけのことはある。
 けど、一介の寺社奉行って、政治が混乱するくらい日々の業務に食い込むくらいの地位にある人なの?いや、マンガじゃん、といわれたら辛いのだがね。
 そこで私は思うのだ。
 実際の室町時代のことなんて知らん。そこで生きてたわけじゃないし。
 けどもとりあえず、この「一休さん」というアニメ内における室町時代の日の本の国について思いをはせてみよう。


 将軍が怠惰→部下がしっかりしないと国が乱れる新右衛門さんがいないと政治が混乱新右衛門さんがほぼ政務を仕切っていた新右衛門さんがいないと駄目になる=新右衛門さんがこの国の秩序と安寧を保っていた。


 なんていうことになってたりしてね。
 っていうかそうでしょう。
 新右衛門さんがいないと滞るってことは、彼がいないと政治ができないってことで、彼こそが日本を支えていたのだ。あんな呑気な顔で。


 というわけで────ここで冒頭の話に戻ろうと思う。
 何故、「一休さん」においてまず新右衛門さんなのか。
 話の構成はまあ置いておくにしても、日本が……いや、あの京の街がとりあえず平和でなんとなく無事に日々を送っていけたのは新右衛門さんの政治力の賜物だ。
 そりゃたまには迫害されたり、食べ物がなかったりして、可哀相な人たちをなんとかとんちで救おうとする一休の姿を見ることもあった。けれど、とりあえず番組期間内におけるあの時代に戦争はなく、武士と町民の関係は良好のように見えた。
 政治の采配がうまくいっていた証拠だ。街が平和なんだから。
 平和だからこそ、一休は時に呑気に時に厳しく時に最高権力者にたてつきつつ、とんち問答をして無理矢理物事を解決に導くなんていう荒業をやってのけることができたのだろう。
 新右衛門さんがいるからできたことだ。
 だからこそ、「なによりもまず」新右衛門さんなのだ。
 皆さんはどう思います?
 私はこう思うのですけどね。




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