―そのに何があるのかー



 一休宗純と言えば世紀の破戒僧だ。
 この人については数々の伝説が残っていて、破戒僧なんだから職業としては失格なのに、人間としてはOKを出してもらっている数少ない人間の一人だ。その逆ならいろいろありそうだよな。駄目人間だけど職業としてはかなりバッチリというような。
 まあ、とりあえずそんな一休をモデルにしたアニメが、「一休さん」として随分昔に数年ほど放映されていた。かなりたくさん再放送もしたし、知ってる人は多いでしょう。知らない奴は知れ。ビデオを借りてきて見るんだ。
 子供時代から、私は「一休さん」がたまらなく好きでした。
 なんか史実を脚色し、彼の生涯で起こった伝説を適当に散りばめて、味のあるキャラをだし、一休が安國寺というとこで過ごした幼少時代のことをしつこくしつこく語っていく一話完結的アニメでした。
 この人はアレですよね。なんとか天皇の子供かなんかで、将軍だかなんだかに邪魔にされそうになったんで出家させられたんすよね。違ったっけ?まあいいや、そんな感じ。出家させられた寺で起こる数々の事件を、彼の切り札・とんちでいいがかりというかこじつけ的に解決していく。かなり抽象的な説明だが、アニメ見るときに一休についての歴史なんてさほど知る必要はないからそんなもんで大丈夫だ。所詮アニメ。脚色につぐ脚色、よくわからない怠惰な将軍がのさばっていてもやっていける社会なんだからかなりファンタジー入ってるしね。
 さて。
 大体一休さんというアニメは上記の通り、一話完結を基としている。
 何か事件が起こって、どうにかしてくれと一休さんのとこに走りこんできて、一休が「ぽくぽくぽくぽくちーん」と素敵なとんちを捻り出し解決に導いていくというのが基本。まず事件を起こすというか考えるのは、足利義光将軍か、そのお抱えの商人・桔梗屋とその娘。この2人はとにかく一休を負かすことだけを考えていて罠をはりめぐらしては一休に潰される、タイムボカンにおけるボヤッキーたちみたいなもんだ。で、毎回そんな将軍様の我儘に困りつつ、一休さんを崇拝して事件に首を突っ込んでくるのが寺社奉行・蜷川新右衛門。あとまだ未熟な一休を叱るというか突っ込みをいれ、なんだかいい教訓を語ってくれるガイカン和尚ぐらいがいれば大体番組は成り立つ。
 事件に巻き込まれる他の小坊主や、やたら貧乏な町人、川原者、少し裕福な商人、いろんな人が絡んでくることもあるけど(お転婆者のやんちゃ姫、早くに親を亡くしたまだ幼いどちて坊や、一休の母お局様等準レギュラーはけっこういるから)、基本は安國寺と将軍、桔梗屋を中心とする三角関係(違うか)で事は進行していく。
 と、見ての通り、どちらかと言えば事件はあるけどかなり平和な日常に近いことをモチーフにして、延々とアニメは続けられていた。
 こういう話って終わり方が難しい。逆に言えばどうとでも終わることができるし、永遠に続けることもまたできる。
 サザエさんも人気があってどうとでも続けられるから続いてるわけだし、キテレツ大百科もドラえもんも、とりあえず適当に発明してブタゴリラやジャイアンをいじってれば難なく続けていくことができる。一休さんにおいてもそれは言えることで、適当に将軍が我儘言って、桔梗屋が悪知恵を働かせて、一休が最後の5分で印籠のようにトンチを使えばそれこそ永遠に続けていくことができてたはずだ。
 しかし、キテレツに終わりがきたように、一休さんにも勿論終わりはやってきた。
 今回はその最終回についてちょっと考えたいと思うのDEATH。


※以下に引用されるセリフは、放映された最終回に基づく再現です。ぴったりあってるものとそうでないものがありますが、大意は変わらないのでその点ご留意ください。

 最終回の前の回まで、終わるなどという兆しは全く見えなかった。
 私としては一休さんが好きだったから、永遠に続いていくことを願っていたが、再放送だからいつかは終わることは知っている。だから唐突に新聞に「終」の字を見たときはビビリましたよ。今日終わるんかい。そんな感じ。
 まず最初の画面は、安國寺の裏の小高い丘で作務を行っている小坊主たちを見下ろし涙目になってる一休の斜め後ろからの俯瞰の絵でした。「母上、どうしたらいいんでしょうか…」なんてつぶやく。っていうか、作業してる兄弟子たちを見下ろして溜息つくなど、完全にさぼってるわけじゃん。とりあえず掃除を手伝ってれば?と言いたくなることうけあい。そんな生意気な態度でいいのかこいつ?いくら天皇の血筋だからってそりゃいかんだろう。
 そう思ってたら、急にサブタイトル画面に変わる。
母よ! 友よ!
安國寺よ!
さようなら

 なんていう衝撃の文字が画面一杯の毛筆体でばあんっと出てきちゃう。
 いつもの丸文字じゃないんすよ。毛筆。こりゃもう子供じゃなくても衝撃的さ。本当に最終回なのだな、と思わせちゃいます。
 一休は意味もなく悩んでるみたいで、何をやっても上の空、水汲みしてても掃除してても他の人たちから「何やってんだよ」とつっこみはいるくらいの上の空ぶりだった。一晩中仏様にお祈りするためにしゅうねんさんに鐘つきを代わってもらったりなんかして、そりゃしゅうねんさんはさぞご迷惑だったであろうことよ。
 しかし、そんな悩む一休を見て和尚は「どうやら巣立ちの時がきたようだな」なんて影でかっこつけてみたりするわけさ。
 さよちゃんは、「最近の一休さんはおかしい」と思ってる中、和尚は何かを察して「お局様(=母上様)に会ってこい」と言う。母上に会って、泊まってはきていいというお許しがでたのだ。その事実がまた、さよちゃんに「おかしいわね」と疑問を抱かせる結果になるのだが、まだはっきり何がどうなのかはわからない。
 母上のとこにいき、
 「修行の旅にでます」
と告げる。母は悲しむが「いつかこんな日が来るとわかってました」と言う。
 「お寺の中の修行は所詮和尚様に見守られ、仲間に助けられてのものだし、将軍様や新右衛門さんに可愛がられるうえ母上にも会える。これじゃちょっと・・・だから自分だけの力で冷たい風にさらされてつつやってみたいんだ」
というのが旅に出る理由。まあそんなもんだろう。
 その夜は母上と楽しく過ごし、寺に帰って和尚に礼を言うと、「旅に出ることをゆるしてもらったのか?」なんて急に言い出す。驚く一休に「このところのおまえの様子でわかったおった」なんて威張るところはもう和尚様の貫禄って感じ?
 和尚自身もそろそろ一休を旅に出す時期かな、と思っていたのでちょうど良かったらしい。
 みんなに知られると辛いから、誰にも告げず影ながら別れを告げ、早めに出発しようと思う、なんていう一休の申し出に和尚はうなずき二人の間での話し合いは成立した。
 この、一休が悩んで、保護者に後押しされ旅立つ決心をするという、そこんとこはいいんですよ。
 平和な日常のアニメを終わらせるには非日常な出来事によって幕を下ろすべきだ。キテレツが所蔵していた大百科を捨てられてしまったかなんとかしてしまい、諦めて「これからは自分の力でいろんなものを発明するんだ」と言って終わったあの最終回なんて、一休言うところの自立と旅立ちみたいなもんだろう。
 なんでキテレツに拘るのかって?好きだからさ。
 とりあえず、一休は身の振り方を決め安國寺から出て行くことにした。
 そこまではいい。そこまでは素敵さ。一休の偉さ加減に頭が下がる。
 が。
 その先半分の展開がかなりいただけんというか、おかしいんですよ、この主役の行動。
@ 新右衛門さんが痩せたことを心配する。「暑さでもうバテバテでござる」という話を聞き、心の中でいつまでもお元気で…と思う。
A 将軍ととんち問答。将軍様が嬉しげにはしゃいでるのを見ながら「将軍様、今まで可愛がってくれてありがとう」なんてあさってのことを考えている。

 ……とまあ、ここまでは別段普通なんだけどね。将軍がはしゃいでるのに違うことを考え続ける小坊主はおそらく万死に値するだろうが、
 そこんとこはアニメだから気付かなかったフリをしよう。
 次の行動から不可解さが露出してくる。
B 桔梗屋に自分が写したお経を売る。そして売るといっても「夏バテに効く漢方薬をくれ」と言って交換してもらう。帰り間際に、「そのお経はできれば売らず、ご自分で使ってください」とお願いするも「とんでもない。買ったんだからこっちのもの、好きに使わせてもらいますよ」と桔梗屋に言い放たれるが、横にいた弥生さんは「今日の一休さんはおかしいわ」と訝しがる。
C 新右衛門さんの勤める寺社奉行所に行き、部下の人に「夏バテは胃腸が弱って食事をしないせいだから、これを飲んで」ということづけをしてさっきの漢方薬を渡す。
D さよちゃんに一休さんがずっと肌身はなさず持っていた父上(天皇)からのお守りをあげる。さりげなく菊の紋なぞ入っていて、一般庶民が持っていたら無礼だと手討ちにされそうなものだったよ。

上記3点は、まだなんとなく大丈夫にしても、「なんか別れを告げてる感じだな」という雰囲気がしないでもない。
 バレたくないのに自分からバラしていきそうな勢いさ。
 まあこの行動のおかげでさよちゃんは疑いを強くし、新右衛門さんにお守りのことを報告。新右衛門さんはお守りが父上からもらった大事なものであり、自分自身も一休から高価な薬をもらったことも相まって、「ことによると旅にでも出るつもりなんじゃあ」と言い始める。さよちゃんは真に受けて、「そんなのいやあ。いや、いやあ」と字面だけ見るとちょっとエッチそうな泣き声をあげていた。
 そんな可哀相な小娘に対し新右衛門さんは厳しく「いや、きっとそうでござる」と断言するところが漢らしい。勘違いだったらどうする気なんだこいつ。
 そんなこんなで一休は次の行動に出たらしい。それはしゅうねんさんによって明らかになる。
E いつも渡り廊下のとこにある枝に吊るして、何か嫌なことがあると一休が相談をもちかけていた母の小袖のテルテル坊主がなくなっていることにしゅうねんが気付く。
そりゃしゅうねんさんだって、「まさか…」とか思うさ!
 一生帰ってこないとかじゃないにしても、テルテル坊主持っていくってことは相当な長旅になることが予想されるし、逆に他の寺へ移るという場合も想定される。昼からそれをとってしまったらバレることは明白。この人、みんなに知られたくないとか言いながらも、結局涙涙で見送られたかったんじゃないのお?と思うことしきりですよ。
 一休の行動について最もおかしいと思うのはこれですね。
 そして、旅立ちの夜がやってくる。
 和尚に別れを告げ、一休はみんなが寝静まっているところにやってくる。おそらく布団を片付け、みんなに別れを告げるためだ。ここでの行動もちょっと怪しい。
F みんなが寝ている足元を一人ずつ順々に回り、座ってお別れの土下座(っていうかなんというか、座って礼をする感じ?)をしていった。
 まあまだマシな方かもしれませんが。
 にしても、寝ている中、部屋を歩き回って立ったり座ったりもしかしたら小声で「ちんねんさん、お元気で」とか言っているかもしれないと思うと、「おまえそんなんじゃ気付かれるよ!早くそっから出て旅だてよ!」と見てるこっちがやきもきします。
 以上、上記までの@〜Fで、いかに一休がみんなにバレるように行動していたかがわかるでしょう。
 将軍様・桔梗屋はまだしも、小坊主たちには簡単にバレるって。実際丸分かりだったし。
 知られたくないとか言いながら気付いてほしいんじゃん。もう、この寂しがりやさん☆きゃっ。
 そうして、更に不可解な事態へ向かい最終回は進んでいく(あ、そういや最終回なのに吾作さんがいないっ。あんなに重要な寺男だったのにっ)


 一休は外に出て、さよちゃんちに向かって一礼した。密やかに寺男家族に別れを告げたのだ。が。
 いつも洗濯とか野菜とか洗う小川の端までくると、唐突にさよちゃんが現れる。ここで一休は激しく責めたてられた。
 「一休さん行かないで」
 「いや、どうしても修行の旅に出なければならないんだ」←誰が決めたのか、そんなこと。
 「わかってる。でも行かないで」
 そんな感じで会話してた。やっぱりさよちゃんの言葉って、字面だけ見ると昼のメロドラマで不倫相手に懇願してる主役のようだ。
 結局さよちゃんは、昼間に作っておいた、さよちゃんの小袖のテルテル坊主を一休に渡し(ピンク色でかすかについてる睫毛がとても可愛らしいものだ)、「さよなら一休さん」と走って逃げていく。
 その後ろ姿に別れを告げて門をくぐり階段を降り始めたとき、彼は階段下で座り込んでいる5人の小坊主の姿を見た。
 さよちゃんと言い合いしてる間に待ち伏せしていたらしい。一休が門を通らずに旅立ったらどうする気だったのか。そして、一休も気付けよ。小川と門っていったらあんまり離れてないだろう。5人も移動してんだから、その姿を一瞬でも視界にとらえられただろうにただ驚嘆してんじゃないよ。何やってんだおまえは。
 一休は涙ぐみながら階段を下りた。
 兄弟子のしゅうねんがお決まり通り彼を責めたが、一休は泣きながら「みんなに見送られると心が残ってしまうから…」と言い訳する。でも結局バレたんだし、心が残るもくそもなくなったんだけどね。
 しゅうねんさんは「そんなことはわかってる。一休、俺たちはいつまでもいつまでもお前の帰りを待ってるからな」と言った。他の小坊主たちも口々に別れの言葉を吐き出す。この点はさよちゃんと違って潔い。
 「元気で」「無事を祈ってる」と言う中、ちんねんさんの「食べ物には気をつけろ」というとってもらしいセリフには笑いを誘われました。この辺りでぐっと引き付けておいて、格好いいてっさいさんは無言でうなずくだけなんですよ。きゃー、さすがもと落ち武者、格好いいことこの上なしさ。
 そして泣くのをこらえられなくなったしゅうねんが「一休早くいけい」という言葉で一休は走り出す。
 唐突に現れたさよちゃんの涙声を振り払いながら。


 そしてやってくるのは母上様の家の近く。
 最後のお別れをし、さあ回れ右して出発だというところにこれまた唐突に新右衛門さんが現れる。
 「はあ!!」と尋常でない驚き方をして数歩後退した一休は、
 「言えなかったんです────どうしても言えなかったんです…」
と弁解し始める。この辺りに、昔はいがみあっていたものの、今では切っても切り離せない仲になった二人の緊密さを垣間見ることができる。新右衛門さんは黙ってうなずく。
 「一休さん、わかっています」
 くう────っ!!新右衛門さん、大人ですよ────っ。素敵っ。
 「新右衛門さん…」
 「でもいつか、いつか必ず追いかけていきますからね。きっと、きっと……」

 新右衛門さんを泣く泣く追い越し歩き始めた一休の後ろ姿に向かい、新右衛門さんは「お元気でー」と叫ぶ。そして歩いていく一休の回りの景色が急にがらりと変わる。
 すっと奥へ続く一本道、金色の雲が数個空に浮かび、地平線、否、一本道の向こうに沈みかける太陽が見える。そして、禅宗のなんかの読経をBGMに、一休はまっすぐ迷いもなく彼方へ向かって歩いていく。
 そして「終」という字が出て、このアニメは幕を閉じた。
 いやあ、読経で幕を閉じるアニメなんてそうそうないですよ。いいもん見させてもらったわ。


 これが最終回です。
 でもですね、この最終回まだちょっと矛盾点が残るのだ。
 まず、小坊主たちの言動。
 兄弟子として(一休が末弟子だから他全員は皆兄弟子になるが、ここは敢えてしゅうねんにだけ絞るけど)一番早くこの寺から巣立たねばならないのはしゅうねんではないのか。そりゃまあ和尚の考えもあろう。他の小坊主が旅に出るのはまだ早い。だから和尚が行かせないというのも道理か。
 しかし、しゅうねんは一休の行動になんら刺激を受けず、それどころか「お前の帰りをずっと待ってる」とか言う始末さ。
 そりゃここでも修行はできよう。和尚が死ねば序列から言ってしゅうねんが和尚職を継ぐことは考えられてしかるべきだ。でもさあ、
兄弟子の立場としてもっとこう反応があろう。それしか言えなかったのかもしれんが、帰りをずっと待ってるって、そんな、なんか成長なさそうでとても嫌だわ、私的には。
 それから新右衛門さんの言動もなんかおかしい。
 一休を信奉する彼としては「いつか追いかけます」という話は納得できる。まだ小坊主たちの話より、新右衛門さんの方がすんなり受け入れることができる。が。
 彼はここまで悲しむ必要があるのだろうか?
 このアニメのシリーズで、何度か一休さんが遠くに何日もお使いに行って安國寺を留守にするというシリーズがあった。
 この時将軍様は、「一休め、儂の前から逃げおって〜」とかなんとか憤慨し、将軍の捜査網を存分に使い新右衛門さんに追っかけさせて結局居所を突き止めることに成功していた。一休のためだけに関所を設け、とんち問答をし、新右衛門さんと一休はそんな中楽しそうに旅を続けた。
 そう。
 新右衛門さんにはスポンサーがいるのだ。しかもこの時代の最高権力者、室町時代に最も繁栄した将軍・足利義満。
 そんなすげえ悲しんで「きっと追いかけますから」とか言ってる場合じゃない。悲しむ小坊主たちは仕方ないが、新右衛門さんは明日にでも一休のいなくなったことを知った将軍様に
 「ここに一休を連れてまいれ」
と命令されてるかもしんないぞ。
 そんで3日後くらいに
 「一休さん久しぶりでござる」
とかなんとか言って、再会してるかもしんない。
 私としてはそっちのが可能性高そうだから、あんまりここで一世一代の別れ方をしない方がいいと思うんだけどなあ。────まあ、お使いと修行の旅では内容が全然違うから比べるなと言われたらそれまでだが。



 とまあ、そんなこんなで一休さん最終回について考えてみました。
 なんか絶対一休は旅立ちをみんなに知って欲しい行動だと思いません?それって番組を第三者の視点から観察している一視聴者だから言えることなのか?
 でも見ながらこいつぁおかしいと思ったんだもん。しゃあないやん。
 特に新右衛門さんにバックをとられてかなりビビってた一休の、「はあっ」て声は凄くよかったです。そして「拙者、夏は駄目でござる」という新右衛門さんの男らしい声に、全く話として泣くところでもないのに胸を突かれて泣きそうでしたよ。何やってんだか。
 ああ、でもやはりおかしい。気にかかる。
 次の日から将軍様はどうしたと思います?
 小坊主たちはどうしたと思います?
 桔梗屋は?つゆ姫は?どちて坊やは?
 そして新右衛門さんの愛の行方は?
 多くの謎をほったらかしにしつつ、アニメは終わっていきました。
 いつか、みなさんの前に一休さんの再放送が現れ、最終回まで放送し終えた時、私の心に浮かんだもやもやを一緒に味わってみてください。そして突っ込みいれてください。


 「そりゃ違うだろう、一休」、と。
 そして、「新右衛門さん、多分明日から一休捜索命じられるから泣くなよ」、と。


おわり。
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