論文
新井素子を読む小学生は正常か?

(敬称略)

 昔、新井素子が好きでした。
 今は小野不由美が好きです。
 (女流作家における主観的比較。総合的には京極夏彦が好きで、作品としてはバトルロワイアルかな)
 新井素子という人をみんな知らないんでしょうね。
 一応SF作家だと自負する女の人で、知ってる人は知ってるし、知らない人は全く知らない。例えばみんな赤川次郎とか西村京太郎の名前は読んだことないのに知っているが、森博嗣の名前は読もうと思ったことのある人でないと知らない。そして新井素子は後者の人物なんでしょう。
 一般に認知されてる人じゃないです。だから知らなくてもいいんだけどね、本当は。でも知らないと話にならないんで少し知ってください。


 とりあえず、新井素子の代表作って一体なんなのか。
 「おしまいの日」かなあ。
 私的には「ネプチューン」とか「いまはもういないあたしへ」とか良かったですけど、代表作と聞かれれば「…絶句」と答えるしかないでしょう。
 小学高学年から高校はいるまで……いや、中学2年までかな、この作家がすごく好きでした。好きな作家と聞かれれば即答するくらいに。金もないというのに高い文庫を買い集め、むさぼるように読んだものです。
 何が面白かったのか。一人称(個人の視点・内面から描かれる書き方)という、今まであんまり触れたことのなかった文体だろうか。すごく砕けた文章を書く人なので、小学生にも入りやすいところはあったかもしれない。まあネプチューン関係になると凄く固い三人称(第三者からの視点で客観的な書き方)の文体になるのだけれど、基本的には個人個人の主観を中心に置くことが多かった。三人称なのに主観に物事を置けるってなんか矛盾した話だが、そういうのがとても上手い人だと思うのデス。
 私の創作話の文体はこの人の影響を8割方受けていると思う。
 子供心に強烈な何かを残してくれたのだ。
 記憶に残る話といえば「星へ行く船」シリーズ。太一郎さんが死ぬほどかっこよかった。
 未来の話で、火星へ家出した女の子が家出先で知り合った人の勤めている探偵屋で働き始め、いろいろ成長していって太一郎さんとなんとなくくっついてく話。おおまかにいえば。おおまかすぎ?仕方ないでしょう。全部話すととめどない。
 「星へ行く船」「扉を開けて(唐突に異世界に放り込まれた特殊能力のある男女3人が戦争に巻きこまれつつ元の世界になんとか帰る話。後ろ向き人間をいかに前向きにするかっていう趣旨もあると思う)」「ブラックキャットシリーズ(複雑な関係の男女+女の子の盗賊の話。荒唐無稽)」なんかはコバルト文庫なんで小中学生向け。
 「二分割幽霊綺譚」「グリーン・レクイエム」「あなたにここにいてほしい」「おしまいの日」「くますけといっしょ」「ひとめあなたに…」なんかは20代女性向けで、「ディアナ・ディア・ディアス」「ラビリンス」はファンタジー好きの方にすすめたい。
 なんで唐突に作品説明がなくなったかというと、簡単にまとめられないからです。
 あ、「ひとめあなたに…」はできる。地球に巨大隕石が降ってくることになって、主役の女は癌で自暴自棄になっている男にバイク飛ばして会いにいきたい。が、他の人々も自暴自棄になっているので結構大変。そんな彼女と、その間に出会う美しくも儚く発狂していく女たちの話。意味不明?だって本当にこういう話ですよ。
 新井素子は、狂っているとか半ば発狂しているとか壊れてるとか、そういうの書かせるととても上手い。上手いというか、これ以上書ける人を私は見たことが無い。本人にその気はないのかもしれないが、「発狂していく女を書く作家ランキング」とかあったら絶対トップ当選。賭けてもいい。
 しかし新井素子といって思い出すのは大学の頃のことだな。
 なんかサークルでいくつかのグループに分かれ、それぞれ一冊本を読んで部会で感想を発表するとかいうような、これ以上しち面倒くさいことがあんのかっていう活動が行われていたことがあった。すぐに消滅したけど。
 他人の薦める話っていうのにあまり乗り気のしない私は、とりあえず私自身はもう読んだし他の人が読むにも短くていいだろうし、なによりすごくまとまったいい話に思えて「ネプチューン」を強引に薦めて私自身はトンズラしたことがあった。
 これも説明しづらい内容なんですわ。
 凄く海が汚くてどうしようもない未来の話で、大学生3人がその汚い海の真ん中で女の子を拾う。結論としては、その子はカンブリア紀から時空のひずみでこっちにやってきた微生物がひずみの影響で進化した生き物だった。進化した結果人間になったわけだ。
 微生物なんだから勿論人間の常識なんてわからない。
 男2人と女1人の大学生たちは、その子にネプチューンという名前をつけて育てることにした。
 で、ここで物凄い四角関係が発生する。
 まず男女でカップルが一つあって、女の方は昔もう一人の男(←以下男1)とできていたらしい。けど、男1の性格や嗜好とかで乗り換えた。男1は海にすごい憧れを持っていて、海を体現したような女の子・ネプチューンにものすごく惹かれていく。が、ネプチューンは男1のことが嫌いで(怖いらしい)、もう一人の男(←以下男2)の方に惚れる。それはもうラブパワー全開です。しかし男2には彼女がいるし、その彼女は既に妊娠していたり。
 男2は遠くに行きたいって願望をずっと持っていた。どこかはわからん。でも遠くへ遠くへ行きたいという願い。
 ネプチューン(鬱陶しいから以下ネプ)はそれを叶えたいと思う。
 男1は一人突っ走っていたが誰からも突っ込みが入らなかったので、この話における存在意義ってネプの意識をいかに男2に向けるかというものだろうか。
 で、最後、「時空のひずみ」は超国家機密なのに庶民大学生がそれに遭遇したばかりか、そこからやってきた生物を飼っていることがバレ、ネプが連れ去られそうになる。
 それを止めようと男1は無謀なことして多分死に、男2もなんかどさまぎで殺される。
 ネプはその男2の殺される姿を見て衝撃を受けつつカンブリア紀に戻っていった。
 カンブリア紀というのは、生物史において爆発的な進化や分化を遂げていた時代らしい。男2の「遠くへ行きたい」という想いを受け継いだまま過去へ戻ったネプは、微生物になってより強固にその意志を貫き、周りの仲間たちを無理矢理共鳴させる。
 「遠くへ行こう」。
 「さらに向こうへ」。
 そして生物は陸へあがり、空を飛んだ。
 で、残された女は腹に男2の分身を抱き、この子が遠くへ行くのを夢見ながらゆっくりと編物をしている。悲しむでもなく、ただ、母の強さを見せつけながら。
 理解できないですか?それは私の文章力の無さというか、この話の何に主題を置いていいかわからない複雑さにあると思いますよ。
 ま、読み終わったときちょっと感心したんですよ。
 そうか。
 この男2のおかげで生物は進化したのか。それに、男2を愛しつづける女の執念は計り知れんぞ。すごいな。
 純粋にそう思ったものです。
 しかし、これを読んだ同グループの方々の感想は一言だった。
 「…なにこれって思った」。
 感想を思いつくより先に引いてしまったんですな。合わなかったんですよ、感性が。
 で、何が駄目だったんだろうって考えました。
 大体本好き漫画好きゲーム好きの集まったサークルで、大体の人はそれなりになんとなくなんでも受け入れるタイプだったはずだ。
 違ったのかな。
 まあいい。
 そんな人たちですら引いてしまうパワーを持つ作家。
 暗いからかな。どろどろしてるからかな。SFなのにそう感じ取れないところかな。
 そん時はこれくらいの理由しか思いつかず、ああ、新井素子は思ったほど一般受けしないのだな、というところに落ちつきました。
 けれども。
 今になって思い返して、新たな理由が閃きました。
 こりゃ、とりあえず男は引くはずだ。
 なんというか、新井素子の話って女の思考で書かれてるのだ。
 当たり前だって?女流作家はみんなそんなもんだって?
 ノンノンノン(ノンノンのお兄さん風に)。
 例えばですね、小野不由美。
 屍鬼とかに見られるように、男が主役なら男の視点に立とうとしてるじゃないですか。第三者の視点というか、その場の状況や人物にあった考え方をして書かれていると思うのです。でも新井素子は嫌でも「女」。女の思考意外のものは、この人、絶対に書けないのじゃないだろうか。
 女っていってもいろいろですが、この人の書くのは生々しい女。
 ヒロインとか学生とかそーいうんじゃなくて、もう、「職業・女」みたいな人。どろどろとした内面を持ってて、必要なら負の感情を剥き出しにすることもたやすく、人間臭いといえばそれまでだけれど、兎にも角にも生々しいとしか言いようが無い。
 で、この人、一つの思考に拘るとそれを掘り下げたくなる傾向があるようで、拘ったものをテーマとしてぐちぐちと文章を重ねていく。
 そうした「女の妄念」とか「執念」よく言えば「強さ」を前面に押し出してきていたのが、「ネプチューン」だった。「あなたにここにいて欲しい」や「おしまいの日」もそうだけど、「女」であることの暗い部分が浮き彫りにさせられる。
 慣れない人にはさすがに鬱陶しいことこの上ないものかも。みんな、迷惑かけてごめんな。選択間違ってたかもしれない。


 と、ここまで考えてきてはたと思った。
 コバルト系で出されていた話は、小中学生向けとしてそれなりに軽い話になっていた。軽い話だけれど、基本的には新井素子が書いてるわけで、根底に流れるモノは一つじゃないか。
 それに、私がこの人にはまった一作目は「…絶句」だ。ハヤカワの。
 それから中学生にかけて、講談社文庫のをそろえ、「ラビリンス」系の話を買い(これまたなんともいえない観念的な鬱陶しい話。いや、好きなのだけれども)、新潮・角川の文庫にも手を出した。
 要するに、私が持っている新井素子の本の大方90%は小学生後半から中学生前半にかけて買い集めたものになる。中学生後半は田中芳樹とコバルト文庫の他の人、そして宗田理の「ぼくらの」シリーズを買ってたから。高校になるとスニーカー文庫と小野不由美だった気がするし。
 そうなるとですね、ちょっと怖いと思いませんか。
 思わないか。
 だって、小学生がですよ?今になって考えると、上記のような雰囲気のする話を買い漁り好き好んで読んでたんですよ。女の執念もそうだが、第一にゆっくり発狂していくとかいうような、ちょっと考えると「森田童子?」と聞きたくなるような文章も考えたくなるくらいの印象が見え隠れする話を大好きで何度も読み返していたという。今、大人といわれる年齢になって、そーいうのに興味を持って読むのとはまた違う話じゃないかと思いませんか。純文学が好きで固い本を小学生の頃から読んでたって人ともまた違うでしょう。
 第一、同時期に、金田一耕助好きで横溝正史も読んでたし。あの頃だからもう詳しい内容は忘れてしまったけれども、随分怪しげな話だったのは覚えている。
 不気味だな。振り返って考えると。


 ていうか、もっと凄い読書遍歴の方々も勿論いらっしゃるでしょう。
 わかってんですよ。でも敢えて自分の新井素子好きを振り返って見ると、なんか本当におまえ大丈夫か?と聞きたくなった。小学生の時期に読み込んだってことは、感情の基盤的な部分が多分に影響されている可能性がある。
 前述したとおり、私の文体がかなり新井素子がかっているのもその一端だろう。
 さっきちょっとだけ新井素子の本のあとがきを読み返してみた。
 なんというか、錯覚だろうけれども、文の注釈の付け方・改行の仕方・文体がどことなく似ている。別段そんなにも好きじゃなくなった今も(嫌いというわけではない。「チグリスとユーフラテス」が文庫になったら買うと思うし)文体が似てるってことは、私はこの作家の呪いにでもかかってるんじゃないだろうか。
 うーん、もっとこう朗らかな話を愛好していたら、こんな性格にはなっていなかったかもしれないのに。
 いや、それほど新井素子は絶大な力を持っているということか。
 偉大な人だ。少なくとも知っていることを喜びとしなければなるまい。
 ただ、ちょっと新井素子の本を手にとって考えてみてほしいのです。
 「新井素子の本を愛好している小学生は果たして今後の人生において正常となりえるか」
 正常に育つとは思うんだけどね、なんとなく、とてつもなく、不思議に思えたもので。


追記・新井素子の注目すべき著作
 グリーン・レクイエム 講談社
 緑幻想(グリーン・レクイエムU)
 講談社
        宇宙からきた植物人間が地球人と恋に落ち駆け落ちする(1)
        駆け落ちした人のお姉さんとか、その周囲の人間模様(2)


 ひとめあなたに…  角川文庫
        本文参照。新井素子の真髄だと思う。よく考えると怖い。


 …絶句(上下)  ハヤカワ文庫
        暗いとかいうより荒唐無稽な話です。やっぱりこれが一番面白いと思うので。
        ただご都合主義という言葉をこの本で覚えたぐらい、都合のいい展開をしてました。


 あなたにここにいて欲しい  講談社
        超能力者の女たちの苦悩とでも言おうか。
        しかし、超能力云々ではなく、それを持った人やその周囲の人の心情・人間関係にばかり
       焦点をあてているのがらしいと言えばらしい。


 ディアナ・ディア・ディアス  トクマノベルズ
        ファンタジー。狂った血筋に生まれた軟弱青年が、非道の限りを尽くしてのしあがる。
        何故誰も主役の兄の死を嘆かないのか。それが一番悲しい。


 今はもういないあたしへ…  ハヤカワ文庫
        ネプチューンも読める、一冊で2倍お得な文庫です。
        クローンをテーマに書かれてます。


 くますけと一緒に  新潮文庫
        自閉気味の女の子が、なんとなく成長しいつか「くますけ」というぬいぐるみを手放して生活
       できるようになる。ぬいぐるみ好きの作家だから書けた話か?


 おしまいの日  新潮文庫
        人間付き合いの下手な奥さんが、あることを契機にゆっくりと狂っていく話。いやむしろ、この
       人は旦那以外の人間に対してはどことなく発狂していたのではないか。
        彼女の日記と、彼女以外の視点から書かれる文が交互に構成されていて、「おしまいの日」がきた
       ときのページはなんかドキドキしますね。


 あと、新井素子の話の特徴として、「違う話でも同じ人がでている」というのがある。
 マニアにはたまらないってヤツですね。幻想水滸伝で1に出てた人を2でも見れるみたいな感じか。
 「…絶句」の人物たちが住んでたマンションを舞台に書かれた話が少なくとも二つあり、何故あのマンションはひずみができやすいかという説明が成り立っている(扉をあけて・ニ分割幽霊綺譚・…絶句)。
 また扉をあけて、ディアナ・ディア・ディアス、ラビリンスは世界観・時代が同じ。前二つは時期的にも同じといっていいはず。ブラックキャットシリーズに出てくる若い刑事は、「宇宙魚顛末記」の人物たちの世間話で取りざたされていた。
 まあだから、つられて買っていったのかもしれないですね。
 とにかく新井素子の特徴を知りたいと思う方は「ひとめあなたに…」や「ネプチューン」を、荒唐無稽を求める人は「…絶句」を、複雑怪奇な話を欲する人は「ディアナ・ディア・ディアス」を、10代前半の方はここはぐっと我慢して「星へ行く船」シリーズを薦めておきます。
 面白いと思います。
 ほんとに。

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