怪談コミックの進化は正しかったのか?
(以下敬称略)
怖い話ってどうですか。
私は好きです。
怖いとかミステリーとか好きですが、結局のところ人が死ぬ話が好きなのかもしれません。それは違うか。
いや、最近物騒な世の中じゃないですか。んで、物騒なことをしている人の家の本棚には、世間一般的に物騒と思われている書籍が置かれているわけですな。そーいう本読んで人殺しすることになるんだったら、私なんか4、5人は軽く殺めてないとおかしいのだが。
まあ、そんな一般論なんかはどうでもよくて、結局凄い恋愛よりもすごい恐怖の方を求めてしまう嗜好ということですナ。
実際身の回りで起こったら今のように平静じゃいられないだろうが。
で。
みなさん怖い話っていうものに最も多く接するのはどういう媒体なんでしょうか。
テレビラジオ小説口コミ漫画・・・多種多様ですね。
そんな中でも表題通りここでは漫画を例にとろうと思う次第なのです。
漫画という媒体は小説と比べると格段に情報を伝えやすいものだと思いませんか。
いつか「怖い挿絵」について言及したことがあったかもしれませんが、要するに「文章では伝わらないかもしれない視覚的な表現を、端的にビジュアル化することによって相手に訴える」ことができることになりますよね。逆に、小説は書きたくないことは書かなくてもいいわけで、そういう利点はありますが、「情報を正確に」という話になれば漫画の方がいいかもしれない。
怖いという感情を起こしてもらうために、視覚的な恐怖を与えることは比較的早いし楽だと感じますし。(これは、漫画を描けない者の戯言として聞いてくださればいいのですが)
で。
今ホラーブームじゃないですか。
私の中ではなくて、世間一般的にホラーがもてはやされてる。小説しかり、漫画しかり。
ほんの10年前、書店の店頭に一体何冊のホラー雑誌があったか。
そして今、一体いくつのホラー雑誌が置いてあるのか。
確実に数倍の量の本が現在出回ってるはず。なのにコミックの棚にホラー系が少ないのはどうしたことでしょうね。あれだけ雑誌で描かれているものがコミック化されてないってことでしょうか。それともされてるけど置かれていないのか。
どっちにしても、雑誌は買うが本は買えない、という程度のものなのかもしれない。
ここで問題になるのは、例えば有名な週刊誌等で連載される伝奇漫画とか、有名作家や有名原作家のついた漫画ではなく、あんまり知られていない人たちが毎月発表する読み切りの漫画です。要するに、私も表紙しか知らないA5判の大きさの雑誌に載っている漫画のこと。
あれって、コミックにならないんでしょうか。
なったとして売れてるんでしょうか。
売れてないから本屋にない、という話も成り立ちますね。
で、ちょっと昔に立ち戻って考えてみたいと思うのです。これは、私の知っている範囲の話であって鵜呑みにされてつっこみ入ると困るのですが、でも不思議なので聞きます。
昔って、ホラー漫画のコミック、腐るほどなかったですか。
雑誌は確実に少なかったはずです。でも、コミックはあった気がする。しかも、とびきり胡散臭いものが。
今私の手元にも10冊前後のホラーコミックがあります。大体1988年ぐらいのものだから今から12年前ぐらい。まだホラーブームと呼ばれる頃ではなく、雑誌もそうそう出てはいなかった頃です。
今はなき出版社から数多く出ていたこれらのもの、巻末のシリーズ作品一覧を見るだにその数に驚かされます。それ以上にタイトルセンスの素晴らしさにくらくらしますが。
「呪いの顔が私の背中に!!」・・・そりゃ大変だ。
「狂乱!!恐怖の都市へ」・・・じゃあ行くなよ。
「私を殺さないでよ!」・・・すみません。
「化けもの赤ちゃん」・・・そのまんまだ。
「ちぎれた首を抱く女」・・・シュールだ。
「はつ恋地獄変」・・・なんか凄そう。
「恐い人面蛇」・・・そりゃ恐いけど、人面犬とどっちが恐いのか。
「怪奇!ニャンシーの街」・・・ニャンシーってなんだ。
「血が欲しいヒルが吸いつく」・・・ヒルも生きてるしな。
「死体が生き返った」・・・報告ありがとう。
こんな感じのタイトル目白押し。これは見るまで死ねませんよ。
しかも、雑誌に連載されて本にまとまったものではなく、各作家が書き下ろしたものを本にして出版しているというものらしいです。特徴としては、必ず一冊できちんと完結するということでしょうか。
結構ありきたりな話が多い。祖先の怨念がどうとか、新しくきたお母さんがひどいとか、予知とか占いとか、まあ本当にどっかで聞いたことある話を作家流にアレンジしたということですね。
それが恐らく下手という部類に置かれる絵で描いてある。
下手というものは恐いもので、なまじ上手いよりも迫力のある絵が出来てしまう。しかも一冊まるまる書き下ろしなわけで、コマ割りとかは自由自在、作家の好きな演出で派手に描けてるような気がしないでもない(「いやです。絶対にいやです!」という拒絶の一言のために一ページぶちぬきの顔のみのアップを描けるのだからそう思われても仕方ない)。
そんな中でもひときわ輝くのが森由岐子という人。
姉が唐突にサドに目覚めて、好きな男をとった妹を監禁し拷問して快感を得ていくという話も凄かったが、なにぶん異色な作品といえば「魔怪わらべ恐怖の家」でしょう。
なんといってもこの話の主人公の女(パツキンの長い髪も美しい、宗教勧誘員)、人様の家でトイレを探しまくるのだ。
宗教の勧誘にのってくれない家の奥さんと一時間近く玄関先で口論した末、「トイレに行きたい」と訴える。人情として、もともと帰って欲しくて口論した相手に気持ちよくトイレなんか貸せないだろう。だからもちろん奥さんはいやだと拒絶する(それが上記の「いやです」の人)。
でもこっちも切羽詰っている。とにかく小便がしたい。
女は無理矢理家に上がりこみトイレを探す。が、いくら探してもトイレがないのだ。「あなた、失礼ですよ」と激昂する奥さんに向かって言った女の言葉は、「失礼はあとでお詫びします。でも今はそれよりトイレなの」。
気持ちはわかるが、おまえ、おかしいぞ。
んで結局探し回ってトイレはなくて、草むらの中でしました、というオチがつくのだが、「トイレがない家なんておかしい」という彼女の疑問からこの話の怪談が始まっていくわけです。
トイレ探すのに本の約1割を使い、「ない!トイレがない・・・どこにもない。この家にはトイレがない」という衝撃的な言葉にまた1ページまるまる使うという豪快さ。
その後の話はまあ、そこに住んでた子供とかが怪しくて調べてたら捕まってしまったとか、ありきたりな話です。そこの人たちは皆宇宙人で、捕まえた人間を装置で小さくして人形にして遊んでた、ということですね。宇宙人だからトイレがいらなかったんですよ。だからって家建てたのは地球人だろうからトイレは作ると思うのだが。
この本のすごいところは話の内容ではなく、話の導入が「トイレがないと喚きたてる美少女」でGOサインを出した出版社です。普通ないですよこんなの。今は絶対書けないと思う。こんな涙出るほど感動する導入。
ギャグ漫画ならまだしも、ホラーや普通の話で「トイレがないわ」と叫びながら他人の家を駆け回る女を描きたい、と作家が言ってじゃあ描けば、と容認してくれる担当っているんでしょうか。
いるのかなあ。いないと思うなあ。
今と昔ってそこが違うと思う。雑誌で描かれるもの、昔の書き下ろしのもの、どちらに制約が多いかと考えれば勿論前者で、そのぶん作家の個性は薄くなるし効果的な演出もできない。
売れないから棚にはホラー漫画が少なくなって、読み捨ての雑誌ばかりが増えていく。
今の漫画と昔の漫画、どっちがいいとかそう聞かれるととても困ります。絵がきれいなぶん今の方が好感が持てるけど、怪談と言えばやはり昔のあのなんとも形容しようのない絵がいい。今の時代にこんな絵柄はないだろう、というつっこみも突き放すのではなく温かみのある口調で言いますよ、私は。
比べてみて、進化したはずの怪談コミック、でもその進化って実際良かったのか悪かったのか。
とかなんとか偉そうに言ってるものの、今の怪談漫画をじっくり読んでるのかと聞かれると読んでないと答えるしかなくどうしようもありませんが。
しかし、サイコさんとか快楽殺人とか単語が増殖した今、ホラーな話って結構描きやすい状況にあると思いますよね。ネタはいくらでもあるわけですから。
そーいう話もいいですが、たまには昔の漫画を読んでみるのもいいかなと。
きっとほんの10年前の漫画は「正統派怪談漫画」で、みんな懐かしがることだと思います。貴重ですよね。
ああ、っていうか、そんな怪談漫画にうつつを抜かしてたから潰れちゃったのか、出版社。
そうじゃないといいなあ。もしそうなら、きっと10年後に「正統派」と呼ばれるようになるだろう今のホラー漫画を出してるところが潰れちゃうじゃないか。
んでも、一冊まるまる書き下ろしホラー単行本って復活しないんですかね。それとも私の知らないところで出版されてるのかな。
とにかく進化の良し悪しはよくわかんないけど、「トイレと連呼して走り回る女」とかそれに類似した一種馬鹿馬鹿しくも素晴らしい漫画を描くことを容認してくれるところはないものですかね。
それを容認してくれなくなったかもしれない今の状況への進化が、一番私には辛く感じられる今日この頃です。
終わり