昆虫七不思議
この世で最も気持ち悪くて不必要で、なんのために存在しているのか全くわからないモノっていうのを挙げるとしたら一体何が筆頭にくるだろうか。
まあ個人差のある命題だと思う。
世界は千差万別、存在する人間の分だけ何か在ると考えてもおかしかないのだ。
しかし。
私は問う。私だけの狭い世界観で敢えて問う。
昆虫って人間にとって一体何の役にたっているのか。
────まあ、正論もあろう。いろんな意味で。
中学生の理科で習う「食物連鎖」の図。人間はピラミッドの頂上に君臨し、虫たちや微生物が底辺を這っている。虫はそれより上位のモノたちに食われ、世界の何かを消化して有益なものに変えたりもする。
彼らは食って食われてバランスをとり続けている。
だから、彼らはこの世界に必要不可欠なのだ というやつ。
綺麗ですね。みんなの地球だもん、奴らにも生きる権利とかはあろう。
でもこーいうのって、私を含めた昆虫毛嫌い人間にとって、詭弁というか絶対に受け入れられない論理思考なんですわ。
とにかく何が何でも虫が嫌いだ。触るなんてもってのほか、見るのも嫌だ。遠くにいて、絶対こっちにこないという確証があって、くっきりと細部まで見えなくてしかも私の方を向いていないということを前提にしてなら、同じ空間で外殻に空いてるなんか息する穴から呼吸をすることを仕方なく許してやろう。
とにかく、あれらのどこがいいのか?
私も幼少のみぎりにはまだそれでも触れていた。
カナブンの背中とかね。
蟻だって生け捕ったし、種類は全く違うがミミズだってたまに触った。カブトムシの幼虫だって、別に動きはしないのだから楽勝で触れた気がする。
でも今はもうだめだ。どうしようもない。
姿形は勿論のこと、何かを挟んだ上から触って、あれらの硬い外殻の感触を知るだけでもおぞけだつ。
教育テレビとか動物関係の番組で、たまに昆虫特集なる趣味の悪い番組を作っているど阿呆たちが存在するが、その番組自体もできれば抹消してしまいたい。
そりゃえらい遠くからのカメラアングルで、珍しい虫がいましたねーとやってるうちならまだいいさ。
何故近づける?何故画面いっぱいに奴らの汚いというか、気持ち悪い顔をひっつける?
大きすぎる複眼、不自然な口、耳はないしなんだかぬめぬめした感触を想起させるてらてらした光沢感。・・・勘弁して。
あまり近づけなければ受け入れられる種類のものもいる気がするが、バッタ類とか蝶の本体関係のものは駄目だ。幼虫とかは狂気の沙汰だ。
何故こんなにも虫が嫌いになったのか。
恐らく、理由はたった一つのシンプルな答えしかない。すなわち。
大人になったんですね。
簡単に解決してしまったが、そんなもんじゃないだろうか。恐らく今は小さい虫にもビビる女も、小学生のみぎりには蟻をひっつかまえて、頭・胸・腹と分解した上に足なんかもぐような怖いことを平気でしていたであろうことよ。
いや、私はやってませんがね。昔懐かしい知人がしていたんですよ?
虫を持って遊ぶような心の余裕がないし、無論こいつらは不気味だ。
成長すれば興味はなくなるし、気持ち悪いと感じるものが増えたり変わったりしてもそれは第二次性徴期が生み出す精神的な不思議でしょう。
本題はここからです。長い前置きでしたね。
虫に関する不思議は様々あります。
そんな中で私が問いたいのはたった一つ。そしてこれが今回の命題となります。
「何故、虫嫌いは虫に好かれるのか」。
今おそらく「何を戯言言ってんだこいつは」と思った奴いるだろ。
あんたたちは世界の真実ってやつをまだ知らない。いや、私だって別に知ってるわけじゃないが、とりあえず「虫嫌いは虫に好かれる」という珍妙な真実は心得ている。
私はこの世界の真理のおかげで、いろんな怖い目に遭ってきた。
大体にして、家の中においても、「虫嫌い」という性質は命運をわけている。
昨今の家の造りがどんどん密閉力の優れたものになってきても、小さな隙間や人々の油断をついて奴らは中に侵入してくる。
そーいうのを見つけるのは大体、虫退治班班長のおかんではなく必ず私とかなのだ。おかんだって別に好きなわけではなく、比較的平気というだけなのだが、そうした少しの差異で虫を発見する率はぐーんと違う。
とにかくいる。天井に壁に窓にカーテンにそしてその辺の床に。
奴らはひそみほくそ笑んでやがるのだ。
まあ虫に関する嫌な思い出は枚挙に暇がない。
誰にでも分かる例を出すなら、「カメ虫」だろう。小さいやつを主流にして、秋口にやたら飛び回るあいつら。なんか細かくて鬱陶しいし触れば臭いしやたら洗濯物にくっついて動かんし何が楽しくて飛んでいるのか不条理極まる生物だ。あいつらこそ生物界にとって一体なんのいいことをしているのか。
しかも大きいのは死なない。
一度なんか巨大なカメ虫が洗濯物についていたんでビビりまくり、姉と二人で遠巻きにして殺虫剤をふりかけたことがある。普通なら死ぬだろう、という量でも服の間で動き回る奴がみえる。とにかく死ぬまで殺虫剤を与えようと必死になったが、背中の殻がてらてらと光り続けるだけで弱る気配は一向にない。
あたしゃ殺虫剤でなく、撥水剤でもかけてる心境でしたよ。
結局30分程度の戦いの末奴はこの世から消え、帰ってきたおかんに外へ放り出されたわけなのだが・・・まあこれは誰にでもわかる体験談でしょうな。
去年なんて干してた靴下の中に、何故か蜂が入っててなんかぶんぶんいってたんでどうしようとか思いましたが。
外で飛んでるぶんには何の文句もないが、人間様に迷惑をかけるのはどうだろう。
とにかく本当に少なくとも私にとって、迷惑をかけるのがとても上手い生物たちだ。
カメ虫にはまだ逸話が残っている。
もう数年前のこととなるが、大学で倫理の授業を受けていたとき。一番後ろの席に座っていたわけだが、視聴覚机(と私が勝手に命名しただけで、実際はなんていうんでしょうね。あの横に長い5人掛けぐらいの机と椅子)の先にカメ虫が一匹止まっていたのだ。
奴は種族の性質に似つかわしくもなく、右へ左へ縦横無尽に歩き回る。ここで大部分の皆さんは「気になるなら弾き飛ばすなり席を移動するなりすりゃいいだろう」と思われることだろう。
それが無理なのだな。
この倫理、先生の趣味で学籍番号により指定席になっている。あと、虫嫌いな人にとって、弾き飛ばす=触れるという狂気の沙汰的行為ができるだろうか。しかも爪等で弾いたとして、成功する保証がどこにあるのか。
遠くに行けば安心できる。だが、近くに落ちて「見えない場所に何かいる」というホラーな状況になったらどうすりゃいいのだ。もしかしたら弾こうとしたことを奴が察知し、こっちに向かって飛んできて、よけれりゃいいがどっかにぶつかった上知らん間に服とかについたらどうする。誰か責任とってくれんのか。
以上のような思考論理によって、この虫は一体どうするだろうと観察していた。隣にいったり帰ってきたり、その度に一喜一憂のひと時。
そして、そいつはいきなり動作をやめ、ふとこっちを見上げた。
見たんスよ、こっちを。絶対見た。嘘じゃない。じっと見ていた。その顔は「この野郎いつまで俺様の勇姿に見惚れてんだよ。うざってーんだよ、犯してほしいのか?ああ〜ん」
って感じ。恐怖に慄いた私は、目をそらそうにもそらせない。こいつ、いつ飛んでくんのかわかんねーんだぞ?怖くて他のことに集中できるか?!
結局、奴は私めがけて飛んできた。
あの時の恐怖を私は一生忘れないだろう。
それから1年半後、別の教室で地誌をうけてたら窓にでかいカメ虫がいたんで授業を放棄して外にでました。出席終わったしまあいいか、という感じで。教室狭かったんですよね。とがめられはしなかったが、とがめられることより、横のカメ虫がこっちに襲いかかってくる恐怖から脱する方が私には重要でした。
とにかく大学が山ん中にあったせいか、虫の話にはことかかない。
外で座ってたら、1b半ぐらい向こうにいたバッタがこっち向いてるんで嫌な予感してたら、案の定こっちめがけて飛んできました。
刑法の授業してたら、前方から凄いスピードでなんか飛んできて、私の左の二の腕にくっいてびびって見てみたら、「背中の羽が紫だかピンクだかの(全然違うけど、とにかくそうしたはっきりした色の虫)2aぐらいのカナブン的なもの」がついてて狂ったように払いのけたこともありますよ。
なんかの授業で眠いんで寝ようとしたら、「ぷ〜ん」という蚊の羽音。無視してたら左腕に違和感。ああ、血ィすってるよこいつ・・・と思うものの殺せない。触りたくない。もしヒットして奴が死んだとして、手の平に死体が残ったら・・・恐怖だ!勘弁してくれ!
血を吸わせてやりました。
腹いっぱいになりゃ寄ってこねえだろ、という安易な理由です。
蚊ぐらいなら、まあ、払うとどっかいくし得体の知れん雰囲気もないんで割と受け入れられるんですな。「ぴたっ」と引っ付く感じじゃないでしょ。細い足がなんとなく触れてるかもというところで。カメ虫とかって、短い足を存分に使い寸胴な体をはちきれんばかりに使って意味もなくへばりついてる。だから許されない。そーいうとこはありますな。
秋にはレンガ張りの地面に潰れ果てたカメ虫たちの死骸。
土が剥き出しの場所では、意味もなく生えた雑草の中から大量のバッタが飛び出してきたものです。
ああもう、どうして奴らはどこでもかしこでも人を恐怖のズンどこに叩き込むのか!
とまあ、書ききれないほどの虫体験をしてきた私ですが、そのいくらかでも共感する部分がありましたでしょうか。
なんでこいつらが嫌いなのかな、と無い知恵絞って少し考えてみたんですがね。
やっぱり冒頭部分でふれたことが最大の要因となっているでしょう。
とりあえず、私にとって何の役にたってんだかわからない。どちらかと言えばこっちの恐怖心やら嫌悪感やらをいたずらに刺激するだけで、絶対に何かの役に立っているとは思えない。
しかも、それでかっこいいとか綺麗というならまだしも、なんつーグロテスクで気味悪い姿形をしているのか。現在これを書くために、いろんな気味悪い虫のアップとかを思い返しているのだが、叫びたくなるほどおぞましい。
せめてみつばちハッチくらいの人間味がほしいところだ。
恐らく私は一生昆虫を毛嫌いして生きていくだろう。
とにかく虫と同じ空間にいたくないんだから、自分の部屋等で遭遇した場合には絶対に叩き潰す覚悟は随分前に完了させた。
一人暮らしをしようものなら手に届く範囲に必ず殺虫剤でもおき、虫を素手で叩き殺さなくてもすむようにちり紙の箱を置きまくる。箱で殺して紙で清掃するという、流れ作業ができるじゃないか。
網戸は開けない。できることなら窓自体を開けたくないが、そういうわけにはいかないか。クーラーがないと生きていけないだろうと思う。
とにかく、私にわかるように、奴らが何の役にたっているのか(特にカメ虫)役に立っているならそれはどのくらいの確率でか、それらを教えてくれる者はいないだろうか。
しかも虫自体姿を変えてくれれば話は早い。
あー、でも、なんか実験失敗して蝿男になった映画の一番最後にでてきた、顔人間体蝿で蜘蛛の巣にひっかかってた奴みたいなのに変わったら、それはそれで不気味か。
見てみたいけどね。
おわり