ベロベロバアは必要だったのか
ポンキッキの特色の一つとしてたくさんの歌があげられる。
その時代の流行に即したものから、幼児教育のようなものまで千差万別多種多様、誰が聞いてもどこかに必ず気に入る歌があるように思う。
どんな幼児番組にも歌のコーナーというものはあるが、恐らく番組が始まってから終わるまでの長きに渡っていろんな人たちがいろんなことで頭悩ませて作っていったに違いない。
ポンキッキの歌はいくつかのカテゴリーに分けることができる。
1.生活習慣・物の名前などの教育的要素を扱うもの
2.卒園・入学といった生活の節目への応援歌
3.兄さん姉さんなどが踊って歌うような体操関係のもの
4.恐らく流行を反映してるのだろう意味のわからないもの
1〜3に入らなければそれは全部4に含まれると仮定しての分類わけであるが、大別すればこれぐらいのものだろうか。
1.生活習慣・物の名前などの教育的要素を扱うもの
ここで有名なのは「はたらくくるま」といった、乗り物に関する歌ではなかろうか。車、船、飛行機、電車と乗れるものは全て踏み込んでいるはずだ。たまに電話の応対や、回文といった文学的なものもあるが、乗り物の名前をただ連呼するだけのものでも幼児には充分満足のいくものらしい。と、私がやや否定的なのは、「はたらくくるま」が1〜3と3曲もあり、最後の3以外は好きではなかったことに由来する。他のものにしても「ぼくはでんしゃ」ぐらいしか興味が無い。
この2曲はできれば聞いていただきたい。
きっと珍妙な気分になれるはずである。
2.卒園・入学といった生活の節目への応援歌
2のカテゴリーは曲数が少ない。
卒園入学というイベントは年に一回のことであるし、誰もが毎年経験するというわけでもない。私が思い当たる限りで3曲ぐらいしかないということは、多く見積もっても5曲以上あるかどうかは怪しい。
大体毎年決まって「みんなともだち」「ようちえんにはいったら」「ドキドキドン一年生」が選曲されていたし、また、それだけで事足りるものでもあった。
小学校に行くという歌は「勉強もするのかな」などとというふざけた歌詞があり、聞くたび失笑したものであるが。
「みんなともだち」は全曲聞くとホロリとくるので、別に卒園の年頃の人ではなく20代以上の大人の人に是非聞いて欲しいと思う。忘れていた何かが蘇るような気がして少し落ち着くかもしれない。
3.兄さん姉さんなどが踊って歌うような体操関係のもの
一種ポンキッキにおけるメインとなりうるところかもしれない。
兄さん姉さんや、ガチャピンムック、ひいてはよくわからない子供たちがわらわらでてきて歌ったり踊ったりするやつで、誰もが知っているところで言えば「ポンキッキたいそう」などがあげられる。
っていうか、「うわさのキョンシーたいそう」の「噂」って一体なんなんでしょうね。それとか「とんがりたいそうNO.5」も、1〜4は一体どうなってんでしょう。
謎も多いが無意味に明るい歌が多いので(暗い体操の歌ってのも聞かないけど)、聞いてて楽しいのは楽しいですね。
4.恐らく流行を反映してるのだろう意味のわからないもの
そうして、このカテゴリーへ到達するわけなのですが。
ポンキッキというと上記までのものが有名で、最もいい歌が記憶の底へ埋没していく傾向にあると思うのですね。多分、「げんきたいそうポンキッキ」を知っていても「どこからきたの」はわからないし、「パタパタママ」は歌えても「ばあちゃん」は歌えない。
いや、パタパタママは4のカテゴリーだと思うけど、有名だという例に取ればそうというだけの話ですが。
なんにせよ、時代とか流行とか体操とか乗り物とかに押されに押され、人々の記憶から消去され膨大な情報の中に紛れて見えなくなった曲っていうのは死ぬほどある。
恐らく「ひらけ!ポンキッキ」のシステムとして、最低月1曲は作るということがあったはずだ。今月の曲はこれ、という感じ。で、完成すれば毎日のように流す。視聴者へ認知させ反応を伺う。1月以上たってしまうと次の曲ができるので、人気の曲定番の曲以外はあまり見られなくなり、運が悪ければそのままお蔵入りになっていく。
思い返せばいろんな歌があった。
それは「数多く」という意味も含むがどちらかというと「無国籍な」というのが近い。
歌謡曲、童謡、ラップ(ヒップホップ?)、沖縄民謡その他、ああ世界の音楽の集大成がここにあると妄想させるほどの音楽の群れ。
幼児の教育において歌や音楽が重要な位置を占めるというなら、ポンキッキ見せときゃそれでOKという状況。しかも、たまに英語や算数の学習、そして意味のわからん映像で想像力もたくましくしてくれるんだから、こんなに有り難い番組は他にあるだろうか。いやない(反語)。
まあ、無国籍な歌が多くあったというのは、先にも触れたとおり「時代の流行」という理由もあるだろう。
ポンキッキはとにかく流行に敏感だった。
キョンシーが流行ればキョンシーの歌、サッカーが流行ればサッカーの応援歌、相撲が流行れば相撲の体操、UFOが流行ればとりあえず未確認飛行物体、見境が無いといえばそうだし、わりきった番組作りといえばそうとも言う。
まあそうだからこそ、番組はクオリティーの高さを維持できたのかもしれぬが。
だからって「むぎばたけのうちゅうじん」という歌は絶対におかしいと思う。
よくわかんないけど空からUFOがきて、学校のみんなに慌てて知らせにいったら、ゆきこちゃんがサヨナラらしい。・・・意味わかんないでしょ。でもそーいう内容なんですわ。推測として、「ゆきこちゃんば実は違う星から無理矢理拉致られてここの学校に通っていたのだが、今日たまたま迎えが来たので帰るところだった。主役の少年は迎えの乗り物を見てたまげただけだ」といえるが、はて、そんなことでいいものか否か。
曲としてはいい曲なのだが。
いい曲といえば「どこからきたの」は最高だった。
小椋桂と玉置浩二で作詞作曲された、静かな落ち着いた幼児の番組に流して果たして受け入れられるのか?という高尚な歌。まあ受け入れられなかったみたいだけど。新曲キャンペーンが終わると登場回数が極端に減ったから。これは亀渕友香って人が歌っていたのだが、あのゴスペル歌ってる亀渕さんなんスかね。すごく透明感のある声だったのだが、なんかゴスペルと結びつかねえ。いや、そりゃ私の偏見なんだが。
他にも「せかいはおどる」(これの中で兄さんたちがコサックダンスしてた)、「はなのにっぽんさのよいよい」(片岡鶴太郎さんが歌ってましたね)、「またね」(多分いずみ姉さんが去っていく時の歌)、「ゴーゴージャンプ」(これって体操か?)、「ホネホネロック」(子門真人の唄)、「天使のおしっこ」(いかに母親がお下劣かという証明のようなもの)などがあるし、「お花のホテル」「こころくん・こころさん」なんかは幼児音楽の王道ですね。和やかで優しげな雰囲気は、「ああ名曲」と思わせます。ただ、「おっぱいがいっぱい」も名曲なんだが、聞く人が聞けばいかがわしい歌になるので注意が必要です。だって、「お風呂でちょこんと押したら びっくりするほどやわらか」で、「おっぱいがいっぱい きれいだな大好きさ」ですよ?幼児にして既に変態系ですな。
で。
そんな中でも私の中でダントツ一番にピカピカ輝いている輩がおります。
もちろん「ベロベロバア」。
これこそなんだかわかんないタイトルですな。「むぎばたけのうちゅうじん」はまだ「麦畑のあるところに宇宙人でもいるのか」という想像を抱かせてくれますが、これはそんな推測すら問答無用に捩じ伏せてます。「ユイユイ」や「ポレポレ」もその地方の人でない限り全くなんだかわかんないけどね。
ジャンルわけするなら・・・癒し系ですか。
歌声は明るすぎる兄さんで、音楽も幼児向けらしいシンプルな作り、ところどころガチャピンムックの合いの手が入りつつ、意味のあるのか無いのかわからない「ベロベロバア」という単語を連呼したりもする。
けれども。
一応きちんとした歌詞もついてるこたついてるんですね。問題はそこ。
なんというか、当たり前のことを当たり前のように歌ってくれるのですわ。
「蟻の棒倒しじれったい」とか。
「鰐の肩こりなおんない」とか。
「シマウマ日焼けすりゃシマがない」とか。
「玉葱刻みゃそりゃ泣ける」とか。
そういう歌なのです。「当たり前のことを真面目に歌うことによって、笑いをとるもしくは共感をえる」という種類の。
最初はただおもしろいじゃん、不思議じゃん、と思って聞いている。が、サビの部分に入ってくると一気に癒し系に突入。唐突に人生の応援歌となるのだ。
「谷があるから山がある」や「もじもじしてたら駄目、ちっちゃな種もいつか森になる。(あ、そうか)」や「くよくよしてたら駄目、芋虫だっていつか蝶になる。(あ、そうか)」なんていうところは典型的な癒し系だろう。まんまな歌詞はストレートにココロに忍び込むというわけですな。
しかもガチャピンの絶妙な「あ、そうか」の肯定が、この歌の主張をいぶかしんだり疑ったりすることができないような状況に追い込んでいる。
兎にも角にも「ベロベロバア」、嫌でも前向きにならざるを得ない曲なんだな。
当たり前の自然の摂理を説かれ、「だからそのうちなんとかなるさ」と俺様のゴーストに囁かれたら、「まあそうだよね」というふうになっちゃうじゃないか。
何の歌を聴いたら元気が出ますかと聞かれたら、筆頭に「ベロベロバア」がくるし、例えばブルーハーツ(現・↑ハイロウズ↓でも可)や橘いずみの歌と比べてもそれがいいのかと聞かれれば(この2者が私の中の癒し系の双璧なので)状況によっては「そうだ」と自信満々に言い切るだろう。それほどまでに「ベロベロバア」は凄いのだ。
もう、今の癒しとかなんとかいうヤツを、かなり先取った画期的という表現がお似合いの歌なのだ。
・・・じゃあ、ここで疑問。
どうしてこれほどまでに癒しパワー満載になった曲が、ポンキッキという幼児向け番組内で作られたのか。
はっきり言わせていただければ、確かに今のお子様は昔に比べていろんな苦労やストレスを蓄積させてはいるが、やはり普通の大人のそれに比べりゃ蓄積度は少ないはずだ。癒されたいなぞという言葉を高校生が使うのは何の抵抗もないが、幼稚園児が口走り始めたらなんかおかしいだろう。
「ベロベロバア」のような歌は疲れている大人こそが聞くべきものなのだ。幼児向けだから、と敬遠するのではなく、幼児向けだからこそいい歌があるのだいうことを再認識し、元気を出すために聞けばいいものなのだ。ポンキッキを視聴していた子供だけで占有していいものじゃ絶対にない。
けれどこれはポンキッキで作られた。
番組には「今必要とされているもの」を盛り込むものだ。
確かに私は「ベロベロバア」を癒しととったが、ただ単におかしげな歌なだけという噂もある。
映像に出てくる生物も、なんかピンク色のぶよぶよしてそうな変なものだったし。
でも、ただおかしい歌を作ろうと思うならサビの部分の応援歌は必要ないじゃないか。全部おかしげことを言っていけばいいわけだしさ。だったらどうまとめるんだと聞かれると困るけどね。
歌っていうのは一応テーマがあると思う。恋愛やら人生やら局地的な生活のテーマやら、とにかく漠然と作詞なんてできないだろう。たった4〜5分の中で言いたいことというか、主張したいことを分かりやすく書ききらなければならないのだ。漫然とした思考やテーマで作詞ができるとは少なくとも私は思えない。
だから「ベロベロバア」にもテーマがあるはず。
そうして考えると、やはり「前向きに生きろよ」という結論にしか達しなくなるのだ。
だって「青い空に指きり」するんスよ?あの歌詞。何を約束したんだ。意味もなく指きりなんて普通しないだろう。針千本(魚)飲まなきゃなんないのに。
そして締めが「きっとほんとはみんなベロベロバア」だ。
本当はベロベロバアなのに、今はみんな違う仮面をかぶって生きているということか?現代人チックだ。
俺様はみんなの本当を知っているよ、みんなベロベロバアなんだろう?仮面を被って生きてなきゃならないみんなは大変だけどさ(この辺で大仰に肩をすくめる)、俺はちゃんとわかってるから安心して日々の暮らしと戦っていいよ、あははははははははは・・・・とかなんとか言われてるみたいだよネ。
いやマジで。
どうしてこんなコンセプトの歌を作ることになったのだろう。
もうやっぱり、現代っ子が人生に疲れてるから(昔、元気な老人は疲れた子供に席を譲りましょう、とかいう標語が冗談であったよな)生きる糧にと思って作ったとしか思えん。
もしくは、これからいろんな苦悩を背負っていく幼児たちに、今のうちから歌を聞かせておいて辛くなったら思い出しなさい、という思いやりの表れか。
私的にはそんな形で結論づけようと思ってるんだが、さて実際この曲を作っていた人たちはどうしたかったんでしょうか。
あ、もしかしたら、自分たちが疲れてたから作りたかったのかもしれない。そーいうのってタマにあるよね。うん。
ポンキッキーズへと移行したのち、私は結局ほとんど番組自体を見ていなかったのだが(ポストマンパットとかロックンオムレツぐらいしか記憶にない)、たまに見て歌がかかるときあんまり好きになれるものはなかった気がする。
特に癒し系のなんてあったんだろうか。
いや、他にはこう見た目に癒しだと明らかなものってあんまり見ないけど。
「ひらけ!ポンキッキ」の醍醐味は数々の歌にあったと断言してもいいと思う。
有名であれすぐに忘れられたものであれ、それがあったから魅力のある番組として成り立っていた。私の中でそう強く印象に残るのがたまたま「ベロベロバア」であったというだけで、他にもおもしろくためになり癒される曲は多々あっただろう(チャールス豚3世じゃ癒されることは絶対にないが)。
ポンキッキがターゲットとしていた世代の人たちにとって、ベロベロバアはただの面白い曲であって、それ以外の何かにはなりえないかもしれない。
けれど、成長して、いろんな苦労とか責任とかを知ることになったとき、この歌を思い出して「自分は一人じゃないから、やっぱ頑張ろ」と思えればいいと考える。
その為にこの曲が存在するなら本当にいいことだ。
私も久しぶりに聞きなおして、明日からの糧にでもしよう。
そんな感じ。
おわり。