<ガチャピンブログに対する当委員会の見解>


2006年10月28日現在
我慢できなくなったんで、突っ走った見解を書き殴るぜ。ちくしょう。


 何そんな細かいことに目くじらたててんだ、と自分で思ったりもしてるのですが、まあそれはそれとして。


 まず大前提として、私はガチャピンのブログは読んでません
 何故って腹立つから。
 全くってわけじゃないけど、基本的には読んでない。
 なんつーか・・・・・・別に、ガチャピンが嫌いだからムックが好きだからってそういうわけじゃないんですよ。ぶっちゃけ、私はガチャビンが好きなわけじゃないが、ポンキッキとして立ち上げた日記連載を毛嫌いしようと思うほど嫌いなわけでもない。彼もポンキッキの一要素であり、見ていてためになりはしないだろうが、それでも子供に向けたそれっぽい日記を書き続けてくれるならまあ読まないまでもここで文句なんて言おうとは思わない。
 要するにだ。
 私、あのブログに不快感を持ってますですよ。
 今(2006.10.28現在)、ここんとこの日記を流し読みするに、最近はそうでもないなーと思ったので文句言うのもやめようかとしたりもしたんだがやっぱ言うわ。

 ガチャピンは何様だ?
 つーか、フジテレビとして、この2匹の妖怪をどのように扱っていくつもりなんだ?


 みなさんが今これを読んでる段階で、トップに貼ってた当該ブログへのリンクは消す予定ですので確認してもないと思うが、当初これの存在を教えていただいたとき「それゃまあ一応こいつもポンキッキの要素なわけだし、日記始めたことは喜ばしいことだからリンクの1つもしようか」という考えのもとにリンクさせていただいた。
 その段階で8/22の記述を見て頭にきたといえばそうだ。
 その発言はなんなのかと。それは付け加えてそこに書くようなものなのかと。
 で、読んでしまい、気付いてしまうと、やたらに気になる記述が相次ぐ。一応二人は仲良しなわけで、ガチャピンの日記の中にムックが毎日登場したって不思議でもなんでもない。しかしそのムックに対する記述はその大部分が鼻につく。
 8/22もそうなんだが、────ガチャピンは常にムックを下に見てないか
 下等生物だと考えてないか。
 自分の方が優秀だと思ってないか。
 ────それは。
 単に私がこいつに対して既に悪感情を抱いているからそう見えるのかもしれない。
 先入観のない状態で読めば、仲のいい友達を描写する微笑ましい文章なんだろう。
 写真も多用してあって、ファンにはたまらん内容かもしらん。
 しかしだな!
 そーいう私の基本的姿勢を差し置いても、この日記はおかしくないかとやっぱり思っちゃうんだからしょうがないだろう!


 ・・・・・・落ち着こう。
 冷めた話になっちゃうが、当然、この日記をガチャピンが書いてるわけないでしょ?
 いや、そういうことを言い始めると夢も希望もないのは百も承知だが、こう割り切ってしまわんと先が続かんので。
 ともかく、誰が書いてるって、適当にADとかがやってると思うんだよ。そんで、内容を担当が勝手に決めんのか会議で一通り決めんのかは知らんが、記述される内容はフジテレビ的にOKでガチャピンに持たれる印象に沿ったものにしているはずだ。
 いいですか?ここ重要。
 ここに描かれるガチャピンとムックの姿が、フジテレビが公式に認める二匹の姿なんですよ。
 フジテレビKIDSクラブの1コンテンツとして存在する以上、これは公式に認められたものなのは当然だ。
 ということは、「ガチャピンがムックを下に見ている」という事実が、公式に認められているということになりはしまいか。
 それは、大問題だと、私は思う。
 何度も言いますが、ガチャピンが嫌いだからこんなこと言ってるんじゃないんすよ?いや、こんなに念押しすると逆に怪しいものと思われるが、ほんとにこいつばっかいろいろしやがって、きーっ・・・・・・と思ってるわけじゃない。
 ブログを始めるならそれは絶対ガチャピン主体だろう。
 ムックは傍らで応援するだけだ。
 人気の有無ではなく、やはりそれは長年培われた「二人の立ち位置」に対する印象の結果だ。しかしそれとこの度の内容に関する苛立ちとは関係ない。
 今のポンキッキがどうなんだか知らないが、2匹の立ち位置は終始一貫平等のはずだ。
 ガチャピンがチャレンジをし続け、ムックがそれを応援し続けていたとしても、やはり2匹の間に上も下もない。私はそう思う。
 じゃ、そんな話を心の片隅置いといて、この日記が誰に向けられて書かれたものかについて考えていただきたい。
 「KIDSクラブ」内で行われてるなら、子供に向けたものだろう。
 幼児が進んでパソコン使えるか否かはよく知らんが、まあ多く見積もって小学生以下の子供か?対象年齢はその辺りのはずだ。
 故に、書かれる口調は低年齢向けにわかりやすくを心がけているようには感じられる。内容は自分の今日の出来事や番組の宣伝で、「なんだよ番宣かよ」と思う部分もないわけじゃないが、テレビ局のHPである以上そこんとこは責めるべきことではない。
 しかしだな。
 低年齢向け────とりわけ小学生以下向けに書かれていたとして、妙にひっかかるとこがある。
 きっかけは、漢字の多用だ。
 難しい漢字を使ってるわけじゃない。大人になった人々から見れば、噛み砕いた文体に常用漢字内の簡単な漢字を使ったキッズ向けの文章に見えるだろう。
 でも対象を子供と限定するなら、もっと平仮名の率が多くてもいいのじゃないか。むしろ、多くないといけないのじゃないか。それ程に無造作に適当に普通の文章のように漢字が使われてる。これは不自然だ。EDテロップの名前とはわけが違う。
 お前、5歳じゃなかったっけ?
 いやまあ、5歳で登場して30年たってんだから普通に考えて35歳ではあるのだし・・・・・・仕方ないのか?
 ともかくだ。
 1つ気になるといろいろ気になる。
 内容云々も、日記が本になることも、この二人の立ち位置関係も、気付くと全てがとある像を形成していく。
 まず、これはスタッフの誰かが書いている。
 スタッフは当然大人だ。
 大人の目から、自分の知ってるガチャピン像を模して文を書く。
 ポンキッキを見ていた世代だろう。ズの方でなく。どちらにしても私のように狂ったように見ていた人ではないはずだ。
 そんな人々のガチャピンに対する意識って、「チャレンジもの」か────不本意ながら「たべちゃうぞ」から派生する部分って少なくないと思わないですか?いやだってあれのおかげでCD出たし。
 この日記から繰り出されるガチャピンの目線ってね、そういうのが根底にある感触なんですよ。
 現在の、大人たちが持つ、ガチャピンへの意識。
 ポンキッキは長寿番組だ。その名を知らない人はあまりいない。見てなくとも名前は知っている人は多い。30年続けば多くの人々が「ポンキッキを見て育った」と言い始めても不思議でもなんでもない。2匹の妖怪は多くの人々に愛され、需要は広がり、その需要は子供たちよりむしろ大人たちが大きなウエイトを占めるようになっているのかもしれない。
 モノポンキッキグッズばかりができるように。
 リアルフィギュアが売られるように。
 故に、かの日記を、誰が一番必要としているのか。
 ────大人ですな。
 子供でないですな。
 あれ、大人を対象として書かれてますな。
 だからガチャピンの目線がえらい上からムック見てんだな。一般の大人にとって、ガチャピンはチャレンジを繰り返す凄い人で、ムックはおやつばっか食ってる呑気者だから。
 そう考えるとあの日記全体が大人を対象としたネタに映って仕方ない。
 あの表現もこの文章も、大人に読んでもらえるからこそ笑いを誘える内容なのであって、全てを理解した上で読んでくれる人、ネタとして理解してくれる人でないとあの日記を消化していくことはできないとは言えないか。
 「この会議に、ムックがあたりまえのようにいたのが気になりました。」
 「出会った頃、ムックはこれをいつも欲しがりました。」
 「なんかくやしい。」

 ・・・・・・・・・書くのはいいですよ。
 そうすりゃ笑ってもらえると思ってんなら、書けばいいですよ。
 しかしそれを、KIDSクラブ内で公然と罷り通していくことに、私は不快感を禁じえない。
 それおかしいだろう。
 何がどう変わっても、あいつらはポンキッキのマスコットだぞ?!
 本音がどうだろうと、建前はあそこは子供を対象としたページだ。それならそれなりの姿勢で臨むのが閲覧者に対する礼儀ではないのか。
 大人の都合が顔を出すことだってある。仕方ない。番宣ページだもん。でも全編が大人に向けた発信形態でないかと疑わせることは、ちょっと違うのじゃないか。
 なにこの書き手。
 ガチャピンとムックをなんだと思ってるんすか?
 ひらけ!ポンキッキがない今、あいつらかつての番組におけるご神体みたいなもんすよ。いやそりゃ言いすぎだが。
 どっちにしたって幼児番組でこの姿勢はないだろ!この2匹を全く愛してなさそうな文体どうにかしろよ!いやそりゃ私に書けと言われたところでできんことに変わりはないがな!・・・・・・────というようなことをつらつら考え腸煮えくり返してたら、ふと、気付かされた。
 ああそうか。
 ────ポンキッキって幼児教育番組じゃなくなったんだっけ。
 バラエティなんだっけ。
 んじゃ全編ネタでもいいんだ。
 人には上下があって、自分より下に見える相手は思う存分見下して、そうしてあげることが相手に「こりゃおいしい役回りですぞ」と思ってもらえてるはずだって最低な考えを教えたっていいんだ。
 ま、なにより、幼児がこれを見てるかどうかわかんないですからね?
 勝手にすればいいじゃない。
 ・・・・・・クソが。
 それが結論だ。
 私は多分いつまでも昔のポンキッキに夢を見てる。いつか元に戻ってくれるとどこかで信じているのだろう。だからフジテレビが何かするたびに期待して、その度に地の底まで落胆して、過去の偉人が作り出したマスコットたちが弄ばれ続けるのを歯痒い気分で眺めている。
 フジテレビももう、何もできないんなら、もう何もしなきゃいいのに。
 一喜一憂するのにも疲れてきたですよ・・・。



 あの日記は世間一般には好意的に受け入れられてるはずだ。
 本も出るというし。きっと20代以上の方々が買うんじゃないかと思ったりもするわけですが。
 どっちでもいいよ。私はあの日記を支持しませんし、基本的にこれからも読みませんし、もうリンクもなくします。冒頭述べた通り最近の記述に目立った不快な部分はないので、書き手が変わったのか姿勢を正したのかそういうネタを思いつけんだけかなんか知らんけど、もしかしたらこのまま無難なガチャピンの日記として続いていくのかもしれません。
 でも気に留めておいてください。
 あれは誰に向けられたものか。
 あれが置かれてる場所は誰に向けられた空間か。
 その中で取られている姿勢は本当に正しいのか。
 ・・・・・・うるさく怒る場面でもないんでしょう。冗談だ、ネタだ、怒るのがおかしいと────私だって思わないでもない。お遊びなんだと言われると反論はできんわな。でもなんかもー、ポンキッキの本質を知らない奴らに、ポンキッキが汚されてる!・・・・・・って印象が強くてなあ。
 抜粋されてるんだろうと推測しつつも日記内のコメントがやたらに好意的なものばっかりだったり、これについて見かける記事が比較的好意的だったり、しかも出版とかそんな話になってたり────たまには極端な反対意見も声高に主張しておこうかという、そんな主旨のひとり言でした。
 私はアレは嫌いです。
 時代の変遷と切って捨てるのは簡単だが、それでは捨てられない部分を大切にしておきたいなと願います。


 そんなヨタ話でした。


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