エンディングロール・その効用




 ちょっとした小噺を一つ。


 2006年9月現在、拍手ボタンを設置してみたら、なんかぱらぱらと押してもらってしまって舞い上がり、何かこう────やらなきゃなんないよな!うん!・・・・・・みたいな境地に至ってしまったので何かします。
 この記事は、押してくれた方々への感謝の意です。一応。嫌でも受け取れ。
 なので、とりあえず、満足できるものになればいいですよね。
 ちなみに今週入ってからはがくんと拍手回数減りました。むしろないと言っても過言ではない勢いで。
 本当にあれだな。変なものあったんでちょっと押してみた、ってことだったんだな。


 さて。
 一つの物事をやり遂げる際、それには当然それなりの規模の人間が関わることになる。
 どんな事柄でもそうだ。当然だ。人が何かしようとするからこそ物事が動くのであって、その規模がでかくなればなるほど多くの人間が関わることになるのは道理だろう。
 類に漏れず、番組においても、それは言えることだ。
 一つの番組を作るのには多くの人間が関わる。ピンからキリまで。
 そうした関わった人々の大半は表に出ることはないが、それでも、一つだけ名前が出る場が与えられている瞬間がある。
 エンディングだ。
 エンディングのスタッフロール
 我々が作ったんですよって主張できる、唯一の場。
 ・・・・・・・・・こんなに引っ張る事柄でもなかったですね。ごめん。
 あのさ、スタッフロールって見ます?
 昨今のバラエティなんかは物凄い動体視力がないと一人分の名前すら読めなかったりするものですが、アニメやドラマなんかはちゃんと落ち着いてみることのできる仕様になってますよね。あれなかったら、「このOPの歌誰だろ」のようなことを筆頭に疑問を解消できなくなることもあるんで、文字を識別できるスピードでEDは作って欲しいものです。
 私、OPもEDも好きなんですよ。見るの。なんとなく。
 そんなある意味重要なスタッフロールですが、当然ポンキッキにもそういうものは存在します。
 ガチで子供の頃、その名前の羅列の意味は全く理解できませんでした。
 とりあえずガチャピンには二人の人間が関わっているということがわかるくらいで。
 大体そういう時分には、番組を誰が作ってるのかなんてどうでもいいことです。各コーナーが楽しければそれで満足なんだから。
 そういう意識が変化するのは中学も後半から番組ラストまでになりますね。
 だって、気になりませんか?
 山ちゃん直ちゃんのフルネームとか
 まあそれだけですが。
 歌における作詞作曲は歌の中で登場するけど、その他のものはそういうわけにはいかない。大体、あのスタッフロールがなければ兄さんたちの名前もわからなかったわけで(歌のときに名前が出てくる場合もあるが、兄さんに関して言えばそれは稀だ)、その点一つとってみても小さい頃全く理解できなかったそれはいろんな意味で重要であり、且つ、必要なものになってしまったわけです。
 じゃあ本題。
 ここに二つのEDの映像があります。
 1つは、もえみ姉さん時代の「ちきゅうともだち」ver.
 もう1つは、三輪優子時代の「風の花束」ver.
 前者はおそらく私が真剣に見始める直前のもので、後者はポンキッキも終焉を迎えようとしているそんな時期のものだと思われます。その時間差は5年前後になりますか。
 で。
 ────実は。
 上記までで、EDは大切だの必要だのと偉そうに語っちゃいましたが、実際のとこ放送してた時期において私が必要としていたのは「出演者」の情報止まりでした。
 スタッフロールが必要なことは論議を待たない事実であるが、はて、じゃあ出演者以降の文字列を考えると当時はそんなものは重要視してはいなかった。そんなもん重要視する意味がなかった。
 ポンキッキは絶対で。
 どう考えても映像を使いまわしてたが、でもポンキッキってやつは盲目的に大好きで。
 ここまで続いてきた番組は、これからもこのまま続いていくと信じて疑っていなかった。
 作り手について興味を覚えるような意識はなかったわけです。この人が関わってるから面白いとか、この人いないから駄目とか、そういうのって番組を無条件に肯定してるときにはどうだっていいことじゃないですか?
 どうでもよくないことに気付くのは────終わってからなんですよ。
 あの頃楽しかったのはあの人がいたからじゃないか。この人が歌詞書いてるからこの歌は間違いないとか。あの人が加わってる次の番組はきっと期待できるんじゃないかとか。────そんな感じで製作側の人間に注意を向けてくようになる。
 日々人間ってのはそのように進歩してく気がしませんか?
 それが本当に進歩かどうかはいいとして。
 番組がおわって10年強。
 物事全般のスタッフロールに目がいきがちになるようになってしまった私が、改めて二つのEDを見る機会に恵まれ、うきうきしながらその映像を追いました。
 EDにだって映像はついてるし、子供は恐らく文字列よりも海や雪山や電車や何かで動き回る姉さんや妖怪2匹を追っていたはずだ。私も当然それに気を取られる。ムック、そのカキ氷はなんだ!三輪優子はしゃぎ過ぎ!相変わらずもえみ姉さん可愛いよ!とか!けど!
 ポンキッキのEDって急にスタッフロールって始まらないんですよね。
 3人が観光地ではしゃいでる風な映像がまず先に来て、それで視聴者の視線を集めつつ大体30秒前後経過した辺りからスタッフロールが始まる。尺は1分から1分10秒もないくらい。実質スタッフロールに割ける時間は40秒前後になる。
 それもアニメみたいな数人の名前を画面に止めて置く感じじゃなくて、下から上に流す手法だ。結構大きめの字で。予算ないとかスタッフ少ないったって、それで全員の名前を並べるってのは難しいのじゃなかろうか。んで、やっぱこう、本当かどうかは知らんがこんなもんなのかーってくらいの人数の名前が流れていって終わる。
 その20%は出演者に割かれるわけで、なんかこう、スタッフって大変だよね。
 んじゃ、以下はそのスタッフロールで流れた文字列を書き写します。
 諸事情で見えづらい部分があり、勘で書いてるとこもあるのでその辺はご了承ください。
 ちなみに位置がずれてるのは両者で対応する部分を比較するための処置で、右端の列は私のどうでもいい感慨です。

 前者=古い方
 後者=新しい方

もえみ姉さん時代
   「ちきゅうともだち」
みわゆうこ時代
   「風の花束」
感慨
厚生省中央児童福祉審議会 推薦
昭和52年
  テレビ大賞 優秀番組賞
昭和53年
  放送文化基金 奨励賞
昭和58年
 ニューヨーク・インターナショナル
テレビ&フィルムフェスティバル銀賞
昭和59年
  アジア放送連合 子供番組賞



しゅつえん
ガチャピン おおさかしょういち
        あまみやくにこ
ムック    さかぐちしゅん
       まつだしげはる
しつけ   ペギーはやま
おねえさん きのうちもえみ
おにいさん はせさんじ
        パンチョかがみ
        すながわなおと
        やまさきせいすけ


うた
マナ
ひやまきよし


監修
白百合女子大学教授   東洋
東京女子大学教授    新田倫義
お茶の水女子大学教授 藤永保
国立教育研究所所長   長野重史


協力
教育議事案 楠山三香男
明治大学講師 クック範子

光子館 エイトビジョン
株式会社IMAGICA
共同テレビビデオ編集センター
ビデオ・サンモール
大井川鉄道株式会社
































構成(スタジオ)
高見映
今林芳木
小川美篤

音楽
有澤孝紀
いけたけし

美術
根本研二
山根安雄
望月澄人

録画
吉田勝美





照明 大沢毅



音楽効果 長谷川龍



アニメ 今西久雄



ディレクター
鈴木哲夫
菅野温夫
森田倫代
森俊







プロデューサー
筧達二郎
大島正


製作著作 フジテレビ













しゅつえん
ガチャピン おおさかしょういち
        あまみやくにこ
ムック    さかぐちしゅん
        まつだしげはる
おねえさん みわゆうこ
やまちゃん やまさきせいすけ
なおちゃん すなかわなおと
Bumpy    おがわてつまさ
        Dennis Falt
Lee      Lee James














協力
日本テレワーク株式会社
LITTLE STUDIOS,INC.
バンエイト
共同テレビビデオ編集センター
ビデオ・サンモール IMAGICA
光子館
Egg

衣装協力
USPP(U・P COMPANY)


<えくぼおうじ>
原作 山本省三・画工舎
    (講談社刊「えくぼ」連載)
脚本 永井準
演出 平田敏夫
作画監督 倉橋達治
美術 児玉喬夫
音響効果 小林克良
製作協力 旭プロダクション

<おてんきボーイズ>
企画 山川紀生
    田旗ひろし
脚本 田中浩司
演出 石川康夫
音楽 幾見雅博
キャラクターデザイン 有沢好洋
アニメーション製作
   潟Oルーパープロダクション
音響製作
   潟Iーディオプランニングユー


水上町観光協会




構成脚本
永井準 今林芳木
小川美篤 笹本妙子
田中浩司 Yetta De Vuyst





美術
根本研二
山田茂夫
船場文雄




技術
中川清幸 田中孝生
猿谷智(八峯テレビ)

照明 河原敬司



音響効果 長谷川龍(NOISE)

スタイリスト 岡崎友子
パペット 田村登留




ディレクター
平松滋 菅野温夫
木藤信吾 河内伸一
山崎教基 福田哲也

三輪道彦 上田潤

南新一郎

森田倫代 沖田新司
渡辺康文 安斎房江

プロデューサー
筧達二郎
藤田洋一

製作協力 フジテレビプロジェクト
製作著作 フジテレピ
@5年たって「推薦」だの「何々賞とったんだよ!」って自慢が削られました。











A出演者の表記が平仮名にされているところに、幼児たちへの配慮が見受けられて微笑ましい。












Bこの歌はOP・EDにおける歌紹介の意を含んでると思うが、 5年たって削られてるのは何故だ。


C 監修してるけど端折ったのか、もう監修しなくてもいいとたたっ切られたのか、こんな番組監修したくねえ!と怒ったのか、大きな問題ですね。




D協力が企業名だけとなり、衣装は5年後別枠が設けられている。












Eえくぼおうじ放送してましたしね。









Fおてんきボーイズ放送してましたしね。そういや声優の紹介のスペースないんすね。











GEDの雪山の場所なのか、番組内でそこに行ったのか不明だが、前者における「大井川鉄道」と同じ立ち位置ならEDの映像に関わるものじゃないかと愚考する。


H前者のメンバーが一人残るのみ。外人がいるのは英語コーナーのためか。
てか、人数が。


I音楽担当がいないってどういうこと?



J美術の顔ぶれもなんか違うようで。




Kカメラってこと?


L技術って何する人?



Mないがしろにしてるわけじゃないが、照明はまあ別にねえ・・・って感じ?


N同じ名前が並ぶと安心する不思議。

O前者と後者であったりなかったりする役目。





Pなにこの異様なディレクターの増殖。











Q安心していいのかそうでないのか、微妙。



R会社が大きくなって分裂したってこと?違うか。

 ────ま、そんなこんななのですが。
 どうもね。
 後者になくて前者にあるものってあるよね。いろいろ。
 多分そのせいなんだと思うんだが────前者のED見てたら泣きそうになった私がいました。ほんとに泣きそうでした。むしろ泣きたかった。泣きませんが。
 別に「ちきゅうともだち」の雄大さのせいじゃあないと思うんだよね。
 前述の通り、あったりなかったりするあの文字列のせいだと思う。
 とりあえず一通り解説します。上から下へ順番に。

1.推薦云々
 番組にとって「推薦」「受賞」ってのは勲章で、折角あるんだから銘記してたってバチは当たらないものじゃないっすか?なんでそれが後者には存在しないのか。
 単純に尺が短いので削ったということもあるのかもしれんが、私としては、昔のような番組構成ではなくなってしまったので推薦はされてないし、賞とった頃の面影はないから「受賞」とか厚顔無恥に晒せないので自粛した、という路線でいってたら面白いのに、と思います。
 
2.出演者
 前者にあるはせさんじさんとか、出てるとき私見てなかったと思うから、山ちゃんたちの出演も考慮して私が見始める直前のものではないかと判断しました。
 なんかここだけ平仮名っていうの微笑ましくない?子供のためなのかなあって感じが。
 あと、後者に外人の名前があることになんとなくムカつく。

3.OP・ED?
 なんで削ったんだろう。ぶんけかなって書けばいいじゃん。
 ────あ、それってOPに回されてんのかな。いや、OPにそういう文字があった記憶はないなあ。

4.監修
 確か、時代の流れに沿って、監修ははずれたって感じのことがどっかに書いてあったようなないような。
 もともと番組が始まるときには、「番組の内容に局は一切干渉しない。また、効果が出ない、視聴率があがらないということがあっても、ある期間は必ず継続すること」などが条件になっていた。
 ということは、一定の期間はとうに過ぎ、局側が番組に干渉してきた末のこの仕打ちなのかもしれませんね。
 腹立たしい。
 あーもーねー、多分ねー、この監修メンバーの名前見て泣きそうだったんだよ私!
 別に知り合いでもないのにな。

5.協力
 前者で個人名であがってる人って番組内で重要そうな響きがしませんか?
 教育関係の権威みたいな。
 そういうのを削ってるってのがひっかかる。後者にあげられる企業がそれの代わりとして務まっていたというなら何も言えないのだけれども。
 にしても前者で関わってたのが後者で下の方に書いてあるってのもひっかかるな。意味ないのかな、順番には。

6.アニメ系
 えくぼおうじとおてんきボーイズのスタッフですね。
 前者の頃にこういうのってなかったんだろうか。なんか人形劇・・・・・・アップルポップだっけ、あれってもう少し先なのかな。
 声優表記がないのが悔やまれる。番組内のOPででもいれてくれりゃ良かったのに。
 どうでもいいけど、えくぼおうじの名前は見たくなかった。あの構成脚本にも名を連ねる脚本野郎、どうにかした方がいいんじゃないか。

7.場所?
 前者のED舞台が鉄道だったので。
 雪山の現場がこの町だったのかな。

8.構成
 人数増えたけど・・・・・・、っていう当惑が残るのだが。
 やっぱね番組の盛衰ぶりを知るモノからすると、後者よりも前者のが情熱あってすごそうってふうに見えるよね。むしろ年齢等のせいでか戦線を離脱せざるをえなかった人たちの代わりを、これだけの人数いないとまかなえなかったと、そういう解釈をした方がいいのか?
 先人は偉大なのです。

9.音楽
 なんで後者に音楽って枠ないの?だから駄目になったの?

10.美術・照明・録画・技術
 どう評していいかわからんのでまとめるのですが。
 顔ぶれが同じだったり違ったり、前者後者で役職があったりなかったりどういう基準なんだ。
 
11.音響効果
 同じ名前が並ぶと安心しない?
 すげえ安心。

12.アニメ・スタイリスト・パペット
 前者の「アニメ」ってのが後者の「おてんきボーイズ」だのなんだのの表記の代わりみたいなもんか?それならそれで潔すぎなんだけど。しかし後者にスタイリストとかそんな名前いれるくらいなら、音楽とかそういうのいれてくれよと思わんか。
 いや・・・・・・もしかして、音響効果の人がそこまでカバーしてるのか?
 いやでもなあ・・・・・・やっぱりさ、「音楽:いけたけし」とか書いてあったら安心しない?番組はきちんと頑張って成り立ってますって感じが・・・するのは私だけか・・・・・・。

13.ディレクター
 なにこの異様なディレクターの増殖。
 ほんと多くない?前者の頃の人数考えると不安になるくらい多いんだけど、こんだけいるから番組が支離滅裂になって消えてしまったのかと勘繰っちゃうよ?私。
 このコーナーはこの人って感じになってたのかなあ。それだと一枚岩って感じしなくて寂しいね。
 人数がこれだけいると、予算とれて人員拡充して立派な番組にする気満々なのかなって考えたいものなんだけど、衰退ぶりを見るにこの拡充こそがその原因なのかと考えてしまっても仕方なくないか。
 いやもしかして前者の方では多くの名前が端折られただけなのか?
 どちらにしろ、いっぱいいて怖い。
 ここも「これくらいの人数いないといなくなった分の埋め合わせが不可能」ってことになったのか?
 それはそれで楽しい話だが。いや楽しくないよな。すごい人がいなくなっていくってことだもんな。

14.プロデューサー
 微妙。
 古き良き時代の番組を守る努力をしてくれたんだろうか。

15.製作
 ま、当然ですね。


 で、一通り書いてみまして。
 ここまでで言いたかったことを大方書きつくし、一体どう締めくくっていいのやらわからなくなってきました。どうしよう。
 えっとね。
 私が知る最盛期と、衰退期。
 その比較が今回の主眼でした。
 二つのスタッフロールを比べてもらうとわかると思うんですが、前者後者で顔ぶれも役職もがらりと変わってるものが多いです。
 出演関係はそうでもないですが(ペギー葉山さんがいないこと、姉さんが違う人とかそういうのは仕方ないので。でも、しつけの人がいなくなってるのは困るかな。えくぼおうじじゃ役者不足だし)、スタッフ関係は入れ替えが行われている。恐らく重要人物だからか何かで残ってる人も居るし、異様に増えてるとこもあるわけだが。
 確かにスタッフは会社の人で、人事異動なんかで動いてしまうのは仕方ない。
 時代の流れを考え、人を入れ替え、古い悪習を排除する試みも必要だろう。
 しかし。
 結果どうなったかって、番組の衰退ですよ?
 昔は楽しかったのにって話を私はどれだけ聞いたことか。
 20年30年前の人が年をとり、やめざるを得ないのは仕方ないです。先人の遺したものを活かしつつ、新しい場所を開拓してくのが引き継いだものの使命です。そして頑張ってくれたのだと信じてます。
 でも────あの英語はどうなのかと。
 つか、えくぼおうじはどうなんだと。
 そしてなによりも、監修者の名前を外すのは間違いではなかったのかと、訊ねたい。
 もう衰退の理由はそれなんじゃねえかと、そんな極論すら述べたくもなるこの頃。
 ポンキッキは幼児教育番組でした。バラエティではありません。教育者の監修が入ってこそ、ポンキッキはポンキッキとして機能していたのではないかと、思ったりもするのです。
 あのスポットも、あのしつけも、あの寸劇も────。
 そんな意識が多分、私を泣きそうにしたのでしょう。たかが文字の羅列で。
 慣習通つりっぽい構成にしてりゃそれでいいよ、みたいなことじゃ駄目なのだよね。構成にしたって幼児の習性なんかを考慮した綿密な計算の元に成り立ってる部分ってのもあるわけだし。
 ね。
 あの頃は良かったなっていう回顧。もう私も老人ですな。


 時代が変われば何もかも変わるから、仕方ないと諦める部分だって必要です。
 でも悔しくて仕方ないからさー・・・・・・今だって充分通用するものがポンキッキの中に数多くあるじゃないですか。ねえ?
 スポットの、かもしかはたしかしかだかあしかはたしかしかではない、とか。
 いや、別にそれに思い入れがあるわけじゃなくて・・・・・・いや、あるのはあるんだが、なんとなく今思い出したから。
 あれは本当にいいものだよ。
 不変ですよ、いい教育って。
 ということで、スタッフの変遷が時代の変化を反映してるのかもなと。
 ほんとにね・・・本当にあの「推薦」表記から「監修」とか出演者あたりの文字を見てぐっときてしまい、にやにやしていいやら泣いていいやらわからんくなったのですよ。
 後者ではそう感じないってことは前者にしかないものが私をそうさせたってことですよね?
 じゃあそこしかない。高見映の名前も重要。
 スタッフロールって、昔を懐かしむ、そんな効能もあるのです。
 10年前好きだった番組のEDとか、じっくり見てるとそんな気分になるかもしれませんよ?
 大体「一休さん」の声の出演に「はせさん治」って書いてあって硬直しましたもん。秀念さんの声やってたのかよ!そうだったのか!
 ────それはまあ、今回の主旨とは外れる余談ですけどね。




 小噺と言いつつ長くなったね。ごめん。
 また機会があったらよろしくです。

2006年9月24日
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