所詮人は自分だけが可愛い、ってことに気付く話
〜「ふしぎなやじるし」及び「なくなって”0”」より〜
いろいろありましてなんとかここらのネタをひねくり出さなきゃならなくなりました。
ぶっちゃけキリ(?)番な人からリクエスト受けちゃって。ありがとうございました、リクエスト。
夢かと思いました。というか、夢かも。
まあいいか。
そんなこんなであまりにも稀少な出来事に舞い上がったものの、ネタねえよ!という致命的なことを思い出してしまい、この前買ったビデオを見ることにした。なんかねーかなーと思って。
あの、いずみ書房の教育ビデオね。
やはり値段に見合うくらいのモノしか入ってなかったですね。・・・・・・いやもちろん、充分満足できるほど入っていたという意味ではない。
歌のビデオセットの値段と比較するなら、まあこんなもんだろ、程度の時間しか入ってなかったという話。
要するに、半分程度。
喧嘩かこの野郎。
私が最も見たいモノは結局入ってないしな(白いぶよぶよしたものが奇声を発しながら飛んだりしゃがんだりするやつ)。ぷーちゃんもあの歌のヤツなかったはずだ。「仲良しよーい子皆いるね はーい」のあれ。歌においては「何故これ?」というものもあったが、まあそれはそれでいいよ。
で見てました。ガチャピンムックの寸劇を。
1巻に1〜2コーナー程度、必ず二人がでてきてなんかしている。
教育セットを謳っているだけあって、どれも皆すげえ狙って作られた感じがした。数をやたらに数えるのが多かったなあ。遭難で疲れ果て、辿りついた広場で唐突に見つけた木になってる実の数とか、電線に止まったスズメとか数えたりすんの。スポットのでもやたらに数えてたな。猫が八回くらい絵に描いた魚に向かい飛び上がったりするのを数えるやつ。
あと、うわっこれはモロに!・・・・・・みたいなのが、「見かけの多少」というやつっすね。
同じ量なのに形の違うコップにいれたら違う量にしか見えん、というアレ。でも測りなおしたらやはり同じ量、という不思議じゃないけど不思議な現象のことです。
二人はちょうどジャングルの中でジュースでも飲もうと、何故か持っていた計量カップで均等に量を測ってそれぞれのコップに入れて飲んでいた。何がってもう、計量カップを持ち歩くガチャピンがおかしい。おまえ、ここに何しに来たんだ?
ちなみにジュースはガチャピンの手によって注がれておりました。たまには働くらしいです、こいつ。
まあコップに液体入れるくらいの仕事はやってもらわんと困るけどもよ。
「もームックはー」と文句たれつつやってたが、形の違うコップに液体入れたら量違うように見えるんだから仕方ないだろ!ムックが納得するまで入れ比べろ!!────と、理不尽な思いをぶつけたりもしましたよ。
さて。
そんな二人、仲良さそうに見えますね。
ジュース飲む段階のあの寄り添いようは尋常ではないだろう。
「このみちどんどん」内で吐かれたあのラストの「何時までも仲良くしましょうねガチャピン」「友達だもんな」「よろしくな」の会話もあながち間違いではないのかもしれない。
かもしれないが────そんな仲睦まじそうな二人の間にだって亀裂はあると思いませんか?
いや、むしろあるだろう。
こんなに性格の正反対な二人が仲がいいわけないのだ。間違っている。性格が違う方が友人として長くお付き合いできるという仮説もあるが、全く同じなのはもちろんのこと正反対でもお付き合いは長くは続けられんのですよ?むしろ、次元の合わないヤツに近いのとかいてそんなのとは会話すらままならんだろう。
ガチャピンムックが果たしてそこまでのものかというと、まあ違うとは思うが・・・・・・おまえら本当に仲いいのか?と疑いたくなる場面に出くわすこともある。例えばさ、
ハチが飛んできたと。
怖すぎだ。あのガチャピンだって心の底から嫌がっている。
「ハチは嫌だー」とかなんとかと逃げ惑うが、結局このままだと必ずヤられてしまう。ヤられないまでも、周囲をそいつが飛んでいるという事態はあってはならんものなので、彼はどうしようかと周りを見回した。
なんか、矢印があったのだろうね。多分、地面に。
よしこれを使ってみよう、えい〜・・・・・・・・・とあらぬ方向へ向けると、ハチはそっちに飛んでった。
このように。
しかしその先にはご覧のようにムックがいて、唐突になすりつけられるハチの存在に驚いている。
当然彼もハチにまとわりつかれるのは嫌だから、矢印を探し出して追い払おうとした。
このように。
なすりつけあってるぜ。
いくら切羽詰ってるからってそりゃないだろおまえら。えらく余裕げに矢印方向へ手の平を向けるムック────対処できたことに満足しその先にいるヤツになにかしらの配慮をする気配は感じられない。
そこにあるのは安堵だけだ。
自分の周りが安全になったんだからそれでいいじゃあないか、なあ?・・・・・・という雰囲気もある。
まあそりゃこれをもとに彼らがいがみあっているとは言わない。
非常事態だ、周りが見えないこともあろう。
最終的にお互い相手にハチをなすりつけてても仕方ないので、ムックの機転により、
ハチは上の方へ飛んでいきめでたしめでたしとなるわけなんだけど。
さすがムックですよね。
こうして「なにおまえ人の迷惑考えず矢印使いやがるんだ!この下衆野郎!!」という取っ組み合いの喧嘩になることもなく、「良かった〜」という感想とともにコーナーは終わる。
私なら絶対殴りあいになっている。
結局このコーナーはなんだ?矢印云々でなく、人はやはりどれだけいい事言ってたって最終的には自分が一番大事、ということの社会勉強になってんのか?
危険なものは他人へ。自分が安全なら安心。他人の危険は所詮他人事、自分さえよけりゃいいんだよヒッヒッヒって話じゃねえの?
────────などとね。
ぼんやり思いながら次のビデオを見てみる。
で、更なる衝撃が視聴者の脳天を直撃することになったりも、する。
問題は以下の二枚の写真。
ゴリラに遭遇する2匹、というところがまずニュースだ。
・・・・・・・・・やけに生々しいゴリラだなおい、という話はこの際どうでもよろしい。
カメラ寄ったときのゴリラのいかめしさはきっと幼児にトラウマを残す気がせんでもないが、基本的内容が「恐ろしそうなゴリラがでてきてさあ大変」という話なんでこのくらいの生々しさは必要なんだろう。
実はこの2枚、別々のコーナーのものなんですよね。
最初が、「ムックがジャングルの中でゴリラに遭遇し慌ててガチャピンに知らせようとするのだが、ゴリラという単語が思い浮かばず説明しているうちにモノホンが登場してしまう」という展開のもの。国語の勉強というやつだろうか。
2枚目は数字というか引き算の勉強になるだろう。
ゴリラが出てきてさあ大変なので、どうにか逃げようとしたら相手がなにやら要求してくる。どうやら食べ物を所望している様子。なので、「リュックに入っていたビスケット5枚を1枚あげるのだが、あげて逃げるまでに二人がやたらにもたもたするのでその間に既にビスケットを食したゴリラが更に食い物を要求し、結局5枚とも全部あげてしまって『なくなってゼロ』ということになり、この先どうしようトホホ」という展開になっている。もろに数字の勉強だ。
それぞれ当然学習として機能していて文句のつけようがない。
問題は二人の役割だ。
画面を見て欲しい。
左は単にゴリラに遭遇したところ。これはいい。二人で怖がっているだけ。
重要なのは右側。
リュックに入ってるモノが欲しいと迫っていることに気付き、ガチャピンがムックに指示を出す。「ムック餌だよ餌!」「え?わたしは餌になるのは嫌ですぞ!」「違うよ、────」とのかけあいのあと、てめえがリュック自体を持ってるくせに、「中にあったでしょ」と言ってビスケットを出させるのだ。
以降、ビスケットを持ちつづけるのはムック。
故に1枚ずつゴリラにあげていくのもムック。
ゴリラに回り込まれてガチャピンが襲われそうになることもあるが、そんな時にも中に割り込んでビスケットをあげるのもムック。
終始一貫ゴリラとの交渉はムック。
────不公平感を覚えるのは私だけか?
なにより。
右の方、ガチャピン、明らかにムックをゴリラ側へ押してないか。
同じ獣系じゃん、と嫌なことなすりつけてないかあの緑色のやつは。
総じて、卑怯者ではないのか、こいつ。
ムックを盾に自分だけは助かろうというその魂胆、ちびっ子たちは気付かなくても私は見逃さないぞこの野郎。こいつは本当はこんなに汚いヤツなんだよ!自分だけ助かりゃいいと思ってる自己中野郎なんだ!
だから意味を見出せないみんなとの合唱では声は聞こえないし、後半の姉さんたちに対して態度が悪いんだ。
あのなんか丸い形の体とか眠そうな目に騙されるな。ぼーっとしてたら後ろからヤられるから。緊急時、そこのアナタを盾にして自分だけ助かる道を模索するぜ、こいつ。
大体にしてさー、本当ならビスケット一枚で逃げ出せてたわけよ。
でも5枚全部使っても逃げられなくなったのには重大な理由があるのね。ビデオの主旨云々は敢えて無視して話をするが、ガチャピンがさ「残りは何枚?!」と確認しなけりゃこんなことにはなってねえんだよ!
ヤツが逃げようと急かすムックに対し、いちいちいちいち「残りは何枚?!」って聞くもんだから「1、2、3・・・残りは3枚〜」とか数えなければならなくなり、結果としてゴリラに対し時間を与え隙を作ることになってるじゃないか。
おまえ逃げる気あんのかよ。
そんで自分はムックを盾にしつつ、要求される食料すら曲がりなりにも友人のものを献上させる始末。
自分勝手すぎるのではないのかそれ。
そういやここにゴリラ呼び込んだのもガチャピンだったな。ムックにしてみりゃいい迷惑だ。
ガチャピンには「自己中」という称号を与えたくなったりしちゃったりするのだが────如何。
こいつはほんとに、隅から隅まで嫌なヤツだよ全く。
────さて。
ご理解いただけただろうか。
ポンキッキのビデオにおいては、主眼に置かれていることは「学習」ではあるのだが、それと平行して人として生きていく上での社会の理不尽さも「学習」させてくれるのだ。
人は自分が一番可愛い。
人は自分が安全ならばそれで安心。
人は自分の安全の確保の為に友人すらも犠牲にできる。
故に、人は所詮、一人。
それもこれも皆ガチャピンがいてくれるからです。あの自己中が上記内容も含め、自己中な行動を起こしてくれるからこそ、人生の勉強にもなるってもんですよね。
そしてムックは機転を利かせ苦難を乗り切り、友人のために危険を顧みないナイスガイってやつっすよ。
素晴らしい。
私だって窮地にたてば自分が一番可愛い。
それは仕方ないことだと思う。皆そうだろうし、それが生物として当然のことだ。
だったらまだ社会に出てない子供達に、外の世界はあんたたちを守っちゃくれないよ、という小さなメッセージを添えることもあながち間違いではなかろう。
一粒で二度美味しいポンキッキ学習ビデオ。
是非あなたのご家庭にも一つ、どうだろうか。
おわり
2005年3月27日