やっぱりそうなんじゃないか!
筧達二郎氏・テレビ番組が幼児の知的教育におよぼす影響 序文とまとめから

これから数回にわたっての文章は「月刊ポンキッキニュース1988.12月号〜1992.11月号」、「月刊ビデオキャパ1988.12月号」、「USENマルチ440 1992.5月号」そしてこれら情報を調べ提供してくださった心の広いあるお方のご厚意によって構成されています。

 ひらけ!ポンキッキとポンキッキーズの違いはどこにあるのか?
 私はことあるごとにこの話題に触れてきました。そりゃもうしつこいほどに。そのやたらくどい内容については「私の中のポンキッキーズ」でも語られておりますが、結局結論としては「媚びてんじゃねえよ」というものになるんでしょうかね。
 曲がりなりにも教育番組と名乗るモノが大衆に迎合するのはいかがなものか。
 それが私の意見なんですわ。
 まあ、そりゃね、たまには迎合もいいかもしれない。それが「迎合」と悟られない範疇のものであるならば。
 ポンキッキは流行をやたら取り入れてきた。それは迎合かもしれない。
 相撲が流行れば「ドスコイ!」、サッカーが流行れば「オーレ!チャンプ」、超常現象ブームなら「むぎばたけのうちゅうじん」だろうか。国際化したいらしく海外に行き、英語の歌も増えていった。子供の目を引くため────と言えばがっくりくるけど、果たしてその割合がどれほどのものだったというんだろうか。
 だって結局生き残るのは、「パタパタママ」だし「はたらくくるま」なんだから。まあそれこそが、流行の流行り廃りというものなんだろうが。
 ────多分私はここ数年「ポンキッキ」に肩入れするあまり、かなり公平な目で見られなくなってしまっているようだから話半分で今からのくだりは読んでもらいたい。
 ポンキッキの番組構成はさほど変わる事は無かった。
 オープニング、歌、スポット(今までミニコーナーと読んでた数秒の意味不明な画像のことです)、姉さんたちの慣れあい、歌、トーマスやえくぼ王子等のアニメや人形劇、スポット、ガチャピンの挑戦、歌、トーマス他、エンディング・・・一日の流れはこんなものだ。
 例えば歌に「ドスコイ」が使われている。それがあったとしても、後の大半は流行とはほど遠いことをやっている。ポンキッキは皆その時代の流行を追っていると思いがちだが、そうじゃない。確かに追っているし取り入れるし紹介もするけれど、コアの部分は変わらずにそこにあって、それこそがポンキッキをポンキッキたらしめていたものなのだ。
 それは専門家たちとの話の末に「子供たちに認識の枠組みを作る能力」を育てるために作られた8つのカリキュラムに則って構成されていたからだろう。
 国際学院埼玉短大の卒論でこういう主張をしている人がいた。
 「『セサミストリート』に比べて『ひらけ!ポンキッキ』は、その時その時の流行を取り入れ、番組に新鮮味があるがその流行が去った後、それは何を意味するか、ということを考えると「その場しのぎの教育」という気がしてしまう。」
 この方に今さらこんなとこで反論させてもらえるなら、とりあえず「そうか?」と言っておこうか。
 新鮮味を取り入れるということは、教育現場においても必要なことだ。毎日毎日小学校の教室で担任の顔と黒板の文字とノートのきったない自分の字ばかり見て暮らしているのは新鮮味に欠け意欲を激減させそうだからこそ、教育テレビの「発見ぼくのまち」やら「いちにのさんすう」やらをいきなり視聴させるんだろう?それが教室内においての新鮮味だと私は思う。
 けれど、テレビ番組において、何を持って新鮮とするか?
 小学生以上対象の教育テレビの番組が例えば2、3年同じ内容流したって別に害は無い。視聴させられる人間は年を取り翌年に見ることはほぼなくなるのだから別に関係ない。更に一年間で内容を進めるために新しい内容で構成させていくのだからトッピングともかく根幹となるところを悩むことは無い。
 それが幼稚園以下になるとどうか?
 この場合幾通りかの作り方があるが、NHKは「テレピを即席幼稚園とする」という立場、ポンキッキは「直球の幼児対象知的教育」という道を選択した。
 幼児の知的教育というものに教科書は無い。だから4月は足し算、5月は平仮名の読み、ときちきち分けていくことは不可能ではないがナンセンスだ。番組は「4歳児」限定とかいうものではなく、小学校に行く直前までの子供たち全体を狙っているのだから学ぶことは千差万別、それこそ知的教育で勝負することは難しい。
 しかも番組の目標はどこに置かれていたか?筧氏の論文から引用するなら、ポンキッキの目標は、
 「雑多な情報に取り巻かれている日本の幼児が主体的に情報を処理することができるよう、幼児の〔質のよい知的構造の形成と深化〕」
なのだ。更にスタッフたちの合言葉は、
 「子どもが60%くらいわかるようにする。」
 「子どもに迎合するな、子どもの喜びそうなことばかりするな。」

だってことみたいだ。(ちなみにポンキッキの作り手が触発されたという「セサミストリート」の意図は、
 「就学前の教育環境のギャップを少しでも埋めるためのいわゆるヘッドスタート計画の一環として位置付けられた」
というところにあったらしく、この点少しズレていることを付記しておきますわ。)

 スタッフのやたらかっこいい製作姿勢はおいとくとして、雑多の情報を処理するには正しい情報の入手が不可欠だ。情報は日々変化する。その変化を取り入れ映像表現として視聴者に提示しなければ、番組の新鮮さは失われていくんじゃないか?
 新鮮味はいいこと。新鮮さに欠ければ視聴者は離れていく。だって、同じものを延々見せられてたら飽きるじゃないか。いつも同じことして視聴率落とすってのもできないからね、実際。彼らだって慈善で番組は作れないんだから。
 そーいう理由もポンキッキの中にはあって、だから流行を取り入れ使っていた。
 でもさ注意したいのは、流行を活用してスタッフが何を表したかったかってことだと思うのだよ。
 ポンキッキとポンキッキーズが異なると感じる一点。それは私がポンキッキーズを嫌う要因にもなるが、すなわち、「流行を呑みこみ加工しているか否か」ってこと。
 呑まれちゃ駄目なの。呑むのだよ。
 トッピングが「流行」として、子供に伝えたいその「本質」が変わらないなら、すなわちそれは「その場しのぎの教育」になるだろうか。
 答えは否だね。
 無茶苦茶端的な表現するなら、「体を動かすことが楽しいことを教えるために踊り系の曲を作りたいです。が、うわさのキョンシーたいそうは飽きられたっぽい。それなら今流行りの相撲をテーマに愉快なリズムの曲を作って幼児に体を動かしてもらうのはどうだろう」っていう結論になってたとしたら、これはその場しのぎ?
 一つのテーマに則って新鮮さを出し、興味をひき、ひいては教育に繋げるのだからいいことなんじゃないのか?流行の取り込みって。
 翻って。
 ポンキッキーズに感じることは逆なわけです。
 逆というか────目指しているものからズレてしまった感じ。
 呑まれている。どこかで何度も繰り返した主張だが、呑まれてるのよ。はい。
 がやがやと騒がしい中、起用される有名人が何かためになること言ってんのかい。作られる歌はいいものを提供してるのかい。回顧コーナーとして昔の歌を流さなければやっていけない、そのくらいの予算しかないというなら泣くしかないが、きっと大昔は少ない人数と少ない予算でやりくりしながらやってたんでしょ。他人事だから言えることかもしんないけどさ、知恵ひねって構成してくださいお願いします・・・と思うのですよ。
 なんかファミコン時代は面白かったと遠い目をするゲーマーみたいな心境ですか。
 ポンキッキーズにおいていかしたスポットって見たことあります?
 ポンキッキーズになってから感銘を受ける歌って聞いたことあります?
 私は番組自体をすでに見てないので偉そうなことはいえませんが、私が見ていた開始当時のポンキッキーズで素晴らしいコーナーっていうか、興味そそられるものなんてひとっつも無かったよ。・・・・・・いやいやそれは言い過ぎとしても、落胆するには十分な内容だったわけで。
 そう感じるのは、番組の中心が変わってしまったからだね。
 専門家に聞き、カリキュラムをたて、子供に媚びずけれど優しく何かを伝えそれらを幼児の中で加工させるまでに至る綿密な番組姿勢は、やはりポンキッキーズに受け継がれることはなかったのだ。
 筧氏は序文でこう語る。
 「しかし、それも20年経つうちに出生児数の漸減という社会的変化を受け、その革新的・先導的役割はより多くの視聴者に受け入れられる番組を作って視聴率を上げるという時代の要請に押し退けられ、遂に「ひらけ!ポンキッキ」は1993年9 月30日をもって終了したのである。」
 ────そう。
 やっぱりそうなんだよ。
 番組は教育より視聴率をとったのだ。
 遊びで番組作ってるわけじゃないから。
 私が引用してる論文はポンキッキが放映されていた期間、番組が知的発達という点で幼児にどんな影響を与えているかを追跡調査した結果に基づいて構成されているらしい。
 しかし、それも1992年秋で終わっている。それは、
 「現在、番組はタイトルを「ひらけ!ポンキッキ」から「ポンキッキーズ」と変え、より一層幅広い視聴者層にターゲットを合わせ、内容も幼児教育番組からキッズエンターテイメント番組へと変わっている。」
からだ。
 教育はしてないから調査する必要も無い。
 厳密に言えば、既に民放からは幼児番組は絶滅してしまったと言って過言ではないのかもしれない。
 最後に、筧氏の論文のまとめにあたる部分からごっそり引用したいと思う。
 
「1993年10月 1日から幼児教育番組「ひらけ!ポンキッキ」は、もう少し幅広い視聴者層を対象としたキッズエンタ−テイメント番組「ポンキッキ−ズ」に模様替えした。しかし変更した当初は、主として小さな子どもを持つ母親から〔子どもが見なくなった〕等の苦情が多数寄せられた。タ−ゲットを広げたために、内容が小さな子どもに馴染み難いものになったことや、ガチャピンやムックを中心にした楽しみながら見ることができた教育的な部分が少なくなったこと等がその理由であった。丁度番組が変わる半年程前に、ポンキッキの放送20周年を記念して、小学館の協力を得て<テレビは幼児に何ができるか?>というテ−マで5回に分けて誌上シンポジウムを行った。その時、アンケ−トを寄せられたお母さん方は、子どもに見せたい番組として<ひとの気持ちが分かる子に育てる><自然の美しさや秩序に対する感受性を育てる><考える力を育てる>ということを上位の三つに挙げていた(注22)。新しく衣替えした「ポンキッキ−ズ」が、このような要望に答えているかどうか、今後の展開に注目したい。
 確かに番組というものは時代とともに変化していくものであろう。そういう意味でも幼児教育番組「ひらけ!ポンキッキ」がその使命を終え、時代の要請に応えて新しい番組に変わっていくのも 当然であろう。しかしそういう時でも番組の制作者は、幼児を意識した番組内容と幼児が視聴しやすいような作り方をいつも研究すること必要があると考える。今後の幼児番組の発展を祈りつつ、この小稿を終える。」


 ────個人的な感慨を述べさせていただくなら、要望には多分答えられてないと思います。
 その用件を絶対に満たすことは出来ない姿勢で作られていると思われるからです。
 とても残念ですが、時代の流れなら仕方ないと割り切らなければならないでしょうか?


<追記>
 「ひらけ!ポンキッキ」の方が良かったと、昔見ていた人たちは大概言ってくれます。
 それが何故なのか私にはわかりません。私自身のことは今こうやって何度も何度も文章にして表現できるけど、やっぱり他人のことはよくわかんないからね。
 憶測するなら、有名人だして賑やかにやってるだけにしか見えない(実際は苦労して考えてやってんだろうとは思いますが)、底の浅い番組になってしまい面白くも珍しくも何もないと感じられるからじゃないでしょうか。
 実際視聴率取れる系のそうしたものに変化をしていったわけで。
 やっぱりそうだったんだなあ・・・悔しいなあ・・・と思わざるを得ません。
 だからこそ昔携わっていたスタッフを称え、これから先も記録は残していかにゃあならんという誓いを新たにしちゃったわけなんですが────────
 何度も何度もくどかったですかね?このテーマ。


 ちなみに筧達二郎氏は長年ポンキッキの製作に携わった人です。
 ────「送りっぱなし」の番組が多い放送業界にあって、きちんとしたカリキュラム委員会を持ち、さらに、その影響を永年にわたって追跡調査を行なってきた番組というのは希有である。 ────
と、(財)視聴科学技術センターの人が賛美するポンキッキ。
 私もあれっすね。
 こんな論文とかあったら探し出してちんけな論文もどきでも書こうかのう・・・と思わずにはおれませんでしたとさ。
 ご精読ご苦労様でした。

   参考文献:筧達二郎・テレビ番組が幼児の知的教育におよぼす影響/(財)視聴覚科学技術センター
 

2002年3月10日

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