ちょっとコラム
私の中の「ポンキッキーズ」
ういっす。桜小路です。
最近(2001/10現在)なんにもいいことなくてさ、っていうか悪いことが多くて大変ですけどみなさんはどう?「サイレントヒル2」なんか買って頑張ってるけど、全然終わりゃしねえよ。私が下手なのか?ゲームが難しいのか?まあどっちでもいいけども。
さて。
9月中旬よりちょっと下旬よりの休日、何の因果でかポンキッキーズを見ちゃったんですよ!
私が最後にポンキッキーズを見たのはいつだったか・・・それももう、かれこれ6年くらい前になると思う。ガラリと変わった番組姿勢とやたら流れる森高千里の「ロックンオムレツ」。
朝からなんなんだというまでの、ハイな幼児バラエテイー番組になってしまい、私はムカつくやら悲しいやらでもう見ないことに決めました。ムック・ガチャピンはそのままだし、歌もたまに昔のが流れてるみたいだったが、そんなの関係ない。あの輝かしいポンキッキの番組姿勢を感じ取れなくなったところで私は見たくなくなった、それだけのことだ。
そうして私がポンキッキから離れまくってから、ポンキッキーズもそれなりの変遷があったと聞き及びます。
いろいろ流行ったらしいじゃないですか。爆チュー問題の歌だとかさ、他はよく知らんけども。最近時間帯も平日朝から土曜早朝にうつり、肩身が狭くなったんですか?と思わずにはおれません。そんな時間に行ってしまったのなら、もう私が見ることはないだろう。
大体、何が楽しくて6時とかに起きてポンキッキーズ見なけりゃならんのか?
だから言ってるでしょう。半分休日のような日の早朝から起きて幼児番組見る奇特な人いないってば。
ま、いいけどもね。
ポンキッキーズは変わったとか、そんな話を小耳に挟んだとしても「そりゃ変わったっつったって、ポンキッキには戻らないんだからおんなじことだろうよ」と私は嘲笑するしかない。むしろしてたし。
けども。
ここに到ってとうとう見てしまったということで、それを含めて私のポンキッキーズに対する姿勢を明確にしたいと思います。
ま、そんな大仰な話じゃないのだけどもね。
────で、ここまでいろいろと文句垂れてきましたが、本当のところを言うと別に番組全てを否定しているわけではないです。言うなれば、ポンキッキを前身としていると公言することが許せないのですね。
別に番組中で「この番組はひらけ!ポンキッキから進化した番組です」とかそういうことを言ってることはないよ。でも、タイトルに「ポンキッキ」といれてるんだから、知っている人は「ポンキッキの続き」という意識に近くなりません?そこが嫌なんですよ。
私の中ではもう、
「ポンキッキ、変わったねー」
じゃなくて
「フジテレビ、新しい幼児番組作ったねー」
なんですよ。
ポンキッキという番組が綺麗さっぱりなくなって、全く新しいタイトルでスタートしたなら、ここまで嫌悪感を持たなかったかもしれない。なんとゆーか・・・ポンキッキーズ肯定派や昔のポンキッキを全く知らない人には分かりづらいかもしれないけれど、保守派な私としてはあの180度の方向転換がどうしても受け入れられないのだ。
ポンキッキにおいて何が一番評価されるべきなのか?
そりゃ個人それぞれの主観だ。だから私の主観は「歌」だった。あと、なんと形容していいかわからないミニコーナー(十数秒で繰り広げられるよくわからない世界)であり、トーマス他のアニメや人形劇である。それらがあの番組における特色であり、日本放送教会の番組とは一線を画す要素なのではなかったか?
実はムックや兄さん姉さんは二の次になってる。しかしどれが一番でも二番でもその格付けに差はほとんどなくて(ほぼ同列といって差し支えない)、強いて言えばの順位であるからその辺ご理解戴きたい。
じゃあそうした「ポンキッキ」の特色は「ポンキッキーズ」に継承されたのか?
されてないだろ、ありゃ。いくらなんでも。
継承した雰囲気感じますか?
例えばドラクエ3と4は全然違うけど、システムは同じだから継承されてるよね。そうした要素を私は欲しているわけですよ。継承しているからシリーズとできるわけで、ポンキッキーズとあからさまに「オレ様はポンキッキを受け継いで生まれた新番組だ」と威張るなら評価されるべきものを受け継げよ、と言いたいわけだ。
あと、そうしたコーナーの云々ではなく、空間の持つ雰囲気というやつも引き継いでくれ。
雰囲気という言葉が悪いなら、番組のテーマというか根底にある製作者の姿勢というか、・・・・・・やっぱりそりゃ醸し出される雰囲気としか言い様ないのかな。
民放における唯一の長寿幼児教育番組の自負・誇り・落ち着き・定番の中の改革・流行に呑まれるのではなく逆に呑み返す奥行きの深さ・奇抜な発想を鮮やかに提示する清々しさ、しかもいいものは繰り返し繰り返し使って全く恥じないその態度等々、全てがないまぜになってそこにある空気が良かったんだよね。
ポンキッキーズって、どっちかっていうと「世間に媚びている」ようにしか見えなかった。適度な有名人の起用、適度な可愛い画面、適度な若い可愛いかっこいい姉さんや兄さん、そして適度に今風の楽曲。それらが媚びていると見えたのは、私の異様なまでのポンキッキへの執着と急激な方向転換に違和感を覚えたからなのかもしれないが、拒絶反応を起こすには充分な要素でもあった。
番組を変えるならこれくらいの変化を必要としたかもしれない────それなら全てを新たにするべきだったのだ。名前を受け継ぐなら空気も受け継ぐべきなのだ。そう思った。
私の年代以上の大部分は(勿論ポンキッキをよく覚えている人限定なのですが)、「ひらけ!ポンキッキが良かった」と口を揃えて言ってるぞ。
────でもまあ、いろいろ主張したとして、やっぱりそれは桜小路の主観に基づく意見だから感銘は少ないかもしれない。どこかの誰かには「継承してるじゃん」というべきものが見えることもあろう。それに、30年近く番組を続けているという記録というか自慢をなくすのは私だって惜しいと思う。
第一、私は結局見ていないのだ。変わったあと、更に変遷していく様を。
っつーことは、本当は、今のポンキッキーズに文句をつける資格なぞないのだね。
で。
そういうことをふまえつつ、久々にポンキッキーズを見たのです。やっと本筋に戻った。
思ったこと。
────確かに変わったかもね。
えーと、ポンキッキーズに変わってからしばらくぐらいの頃から考えると、という話で。
一時期猛烈に感じた嫌悪感はなくなった。私が落ち着いてモノを見れるようになっただけかもしんないけど。
全部通して見なかったし。かけたらいきなり爆チュー問題がミニコントやってた。はりぼての急須で遊んでたよ。んで次に見たときは女の子が「並んでチケット買ってるのに、割り込む悪い奴がいるからこらしめに行こう」とはりきってた。魔女?なのか?コメットさん?と思った。それが終わったら今時の兄さん姉さんらしき人が爽やかになんか喋ってた。
さて。こんなうろ覚えなことで私は何を語ろうとゆうのか。自分で呆れてきましたよ。
要するに結局言えることは、マシになったけど、やっぱり昔のものには戻らないということなのだな、という話。
総じて言えば昔の雰囲気に近くないこともない。けど、なんか違うんだよな───っ、ていう違和感を感じる。ミニコーナーといえばそうだけどミニというには長いし、兄さん姉さんが前面に出ているかといえばそうでもない。醸す空気はどこか斜め上空わ空回りしている気がするし、なんかこう、現代チックとゆーか・・・何といえばいいんだろう・・・やっぱり私の中では世間に媚びてるという文で表現される番組だな、で括られそうだ。
っていうか、私が見たどの場所にもムックとガチャピンがいなかったんだけど、とうとうあの妖怪たちは失業したんでしょうか。心配してます。ま、そんなこたあないと思うが。
で、だ。
語ると言いつつ結局またもや中途半端なことになっているが、いきなりまとめに入ろう。
「ひらけ!ポンキッキ」って国際化時代だからって英語取り入れたり、歌だって進化してきたわけだけど、どこか古臭くどこか最新でどこか年代不詳の匂いがしてなかった?私が言いたいのは多分、そういう誇りであり空気なんだろう。
子供にも見えるが婆さんにも見えるという、年齢不詳の珍妙なご婦人(桜小路含む)が存在しますがそんな感じなんですよ。違うか?
いつの時代のものを再放送しても、いつの時代にもフィットしてしまう感じ。
教育と謳うわりに教育って感じしないのに、やっぱり教育だよね、という感じ。
つっこみの甘い小さいのと、アンビリバボーを見てしまったせいでいい人にしか見えなくなったひょろっこいのの二人組のコントもいいけど、ポンキッキってそういうのじゃなかったでしょ?!それならトーマスを延々流した方が興味深いでしょ?!と私に思わせんなよ、と今の製作者に聞きたいわけです。
だからって私に何かできるわけじゃないけどね。
そして、何度も言うように、これは私の主観であり私の嗜好であり、みなさんに同じ気持ちを求めることはできないと知ってますがね。
今回久々にポンキッキーズを見るにあたり、そうしたことを考えることが出来た、という話です。
さて、どっちの「空気」がお好きですか?
っていうか、私の感じているものは妄想ですか?
おわり。