ソドウ島民の「明日のためのその1」
さて。
ポンキッキの中で2番目に有名なものを考えてみようと思いませんか。1番目は考えるまでもなくガチャピン・ムックだからどうでもいいんですよ。2番目ってなんだと思います?
ポンキッキの歌って世間的に有名なものは多いけど、特にこれが一番ってのはあまりないじゃないですか。「およげ!たいやきくん」くらいですか。
でもですね、それ以上に現在有名であり人気のあるものってのがあるでしょう。
勿論そりゃ表題通りトーマスのことなんですが。
ポストマンパットじゃないっすよ。たいやきくんやポストマンパットのグッズってあんまり見かけないけど、トーマスならそこかしこに氾濫してるじゃないですか。本も出てるし人形もある。恐らくポンキッキで2番目に知名度の高いものはトーマスだろう。
そう決定づけて話を進めていきたいと考えます。
で。
私は思うのですが。
「機関車トーマス」というコーナーにおいて、「トーマス」を好きな人っているんだろうか。確かに彼はタイトルに名を連ねるように、このコーナーの主役だ。当初は勿論彼を中心に話が回っていた。
なのにいつのまにか登場人物(この場合は機関車か)が増えていき、バスやらヘリやらまでもがトーマスの存在を喰っていく。ついには「機関車トーマス」というタイトルにも係わらずトーマス自体が出てこなくなり始めていた。
これってアレじゃないですか?
キテレツにおけるブタゴリラとか、「奈緒子」における壱岐兄弟みたいな。わかんないか。
要するに主役が出てこないってことっすよ。
出てこないってことは、人気がないってことだと思いません?脇役だけでドラマが進むわけで、それで全てが成り立つなら主役としての彼の存在なんていらんじゃないか。脇役のみのドラマ。いいね。
実際私としてもトーマスよりもエドワードやゴードンが好きなわけで、主役は別にどうだっていいと思う。しかもトーマスよりもトーマスの引く客車であるところのアニーとクララベルの方に興味あるし。
────というところまで考えて、ふと思う。
確かに脇役にすごく存在感がある。しかし。
全くスポットを当てられないのに、毎回話の中には出てきては活躍する超脇役がいることを皆さん認識していらっしゃるだろうか。
誰かって?
もちろん、ソドウ島に住んでる人々さ。
────というわけで、今回は機関車トーマス追想録序章・ソドウ島の人々の人格形成やその性質について適当に考えていきたいと思います。
基本的な知識として、「機関車トーマス」はブリット・オールクロフトが製作したイギリス生まれ(多分)のコーナーです。日本版のナレーターは森本レオ、大体5分くらいでオープニングからエンディング(トーマスにおけるエンディングはその回に登場した乗り物たちを全部紹介することです)までをこなしてしまう。戸田恵子(だったっけ)の歌うトーマスの歌は異様に迫力のあるものだったなあ。
ほんで、多くの(本当に多い。私も半分以上よくわからん)機関車が出てくるこの話、それ以上に一般市民がよく登場する。
そりゃ当たり前の話か。
いっくら機関車がゴーゴー走ってても、乗る人がいなけりゃ意味がないもんな。そうした世界の基本を満たすために重要な役割を果たすのがソドウ島の人々なのだ。
最初に結論を出します。
彼らの人格には共通するところがある。
呑気なのだ。
呑気の一言で終わってしまえるくらい、彼らは阿呆みたいに呑気だったりする。
詳しいサブタイトルとかは忘れたけど、いくつかの話にその性質は顕著に現れてますね。
まず、「トーマスと魚釣り」という話。
機関車が魚釣り?何それ…と思ってしまうと罠にはまります。別にトーマスは魚釣りしません。
これは、トーマスの冷却用かなんかのタンクに水を入れたかったのに、給水所のポンプが故障していて、仕方ないからその辺の川の水をバケツですくっていれました、というただそれだけの話なのだ。が。
まず、その水を汲むバケツがいただけない。穴だらけなのだ。
川へ紐に吊るしておろして上げるまでに半分近くもれてるらしい。まあいいか、と言ってタンクをいっぱいにして走り出したが……なんかトーマスの様子が変だ。トーマスはしきりに「腹が痛い」と繰り返す。
何故だ?と思いながらタンクの中を見ると、そこには無数の魚が元気に泳いでいたのだ!
さっき川から水汲んだからそれに入ってたんですよ。
っていうか、いれる時に気付くだろう、普通。機関士とかがどうしよう?と思っていきついた結論は「よし、ここで魚釣りをしよう」だから手におえない。
トーマスのタンクでみんな魚釣りを始め、その上釣った魚をその場で食べてしまう豪快さはそんじょそこらじゃ見られない漢の行動ですよ。しかも、「おいしい」ととても満足しているようなのだが、そういう問題じゃないだろう、おまえら。
次に線路上のなんらかの故障で(うろ覚えですみません)、機関車が駅長かなんかの家の朝食の場につっこんでしまうという恐ろしい事件が起こった。事件ばっかだなこの島。
たしかこの時はダックがつっこんだんだったけ。
機関車が民家につっこむということは、死人がわんさか出てもおかしくない大事故だ。
しかし、無事だった駅長の妻は、机の上の砂をかぶってしまった朝食を見て腹を立て、「もう、食べられなくなってしまったわ!」と叫び、「プリプリ怒っていってしまった」(森本レオのナレーターより)。
このおばちゃんは、家につっこんだ機関車とか、壊れてしまった家の壁とか、大事故にも係わらず助かった命とかよりなによりも、砂をかぶった朝食の方が大事なんだろうか。物事にこだわらないと言えば聞こえはいいが、はっきり言ってこの人呑気通り越して少しおかしくないか?彼女の言動は理解に苦しむ。
また、トーマスが車掌だか機関士だかを駅において発進してしまった、という話もあった。
この回の当初、トーマスは「一人で立派に運行できるさ」と勝手に思い込んでいた。しかし所詮はただの機関車、間違って走り出すことはできても思うように止まることができないのだ。そりゃもう「ぼくはでんしゃ」で歌われる通り、人は乗せるが一人じゃ走れんのだ。当たり前のことだ。
しっかし、乗組員をおいていい気になって発車するトーマスもトーマスだが、それを走って追いかけてくる乗組員も乗組員だ。信号かなんかで無理矢理止まることに成功したトーマスにやっと追いつき、「赤い顔をして水を一杯飲んだ」(森本レオのナレーターっぽい)のはいいが、走ってくるこたないだろう。
もっと他の方法を使えば早く追いつけたかもしれんのに、そこをわざわざ走って追いかけてくるところがソドウ島って感じ?暇人と呑気者の集合体って感じだよね。
そしてトリとして、これまた駅の近くの美容院に機関車が突っ込むという話もあった。…あれ?こっちがダックの話だったっけ。まあいい。それにしても、よく機関車が民家へ突っ込む島だ。毎日が危険と隣り合わせだ。
そんな危険な大事故に巻き込まれてまたしても無事だったソドウ島民・床屋の親父は「これじゃあ仕事ができないだろう」と怒ってつっこんだ機関車の顔に髭剃り用の泡を塗りたくった。
基本的に怪我人はいないし喜ばしいが、パニックに陥ることもなく「顔に泡をぬる」ことでこの件全てを終わらせることの出来る床屋はすごい。っていうか、感情を発露させる方向性がかなりズレまくってるよな。
とまあ、これらの例から見るとおり、ソドウ島の人々って悠然と構えすぎてやしないか?通り越して単に鈍感の域に入っているのかもしれんが。
まあ、呑気とかいう性質は、幼児番組には結構あってるかもしれんけどね。
その他にもいろいろ出来事はありました。
礼儀正しい英国の方々なだけあって、いくら出発・到着が遅れようとも頑張った機関車に賛辞を惜しむことはない。怒ろうとしたハット卿(ソドウ島の機関車の全てを管理する会社の社長みたいなもんか?ソドウ鉄道の会長みたいな感じ?)ですら、あまりにも客が嬉しがって褒めているので怒れなかったくらいだ。
しかも彼らは賭け事好きだ。
トーマスとバスのバーディー(だったっけ)が「どっちが早いか」という話になり、一区間を競争しようということになった。
いくら田舎とはいえ、運転手たちまでもがのりのりになって(だって本人が本気でも、運転手がノリ気でなかったら競争もくそもないじゃん)、街中を爆走して競争事を繰り広げるのは危険じゃないか?周囲に危険なことは当たり前だが、乗ってる人にも危険が及ぶだろう、いくらなんでも。
しかし、乗客たちもやんややんやと声援をし、彼らはレースを繰り広げた。
この辺り、賭け事好きで呑気な英国人、という感じがしないだろうか。
上記までの例で見るように、ソドウ島の人々ってなんかおかしい。
おかしいというかズレてるというか暇人というか────一体なんなのかよくわかんないけども、彼らが共通してのんびりした気風を持っていると言えるのじゃないだろうか。
勿論、「機関車トーマス」は題名通りトーマスが主役だし、個性のきっつい機関車その他の乗り物たちを主体として物語は進んでいく。
けれど、機関車というか交通機関がなんのためにあるか考えて欲しい。
機関車があるから乗客がいるのではなく、市民が欲するからこそ鉄道は存在できるのだ。ソドウ島における機関車はやはりソドウ島民たちのためにあるのであり、この一連の物語を見ていくにあたってほんの少しでも脇役となっている市民たちに目を向けて欲しい。そんでもって、いかに彼らが主役たちよりも派手に珍妙なことをやらかしているかを確認して欲しい。
・・・私は機関車トーマスが好きです。
ナレーターが好きだとか、エドワードが好きだとかってのもありますが、やっぱりとんでもないことを毎回する機関車たちに魅せられているというのが強いでしょう。
しかしさらに、呑気すぎておかしな人たちと成り下がっている一般市民にも興味あるから好きだというのも強い。
この先トーマスについての追想録を繰り広げていくにあたり、ソドウ島民は押さえておこうと思ったのでとりあえず始めに持ってきてみました。
そいでは、あの奇妙というか平和な空間を想いつつ次回に進もうかと思います。
そーいうわけで、次へ行く。
続く(多分)