1.出現の歴史

<出現〜1980年代>

 レッドヤーンとの第一次接近遭遇は、今から40年近く前、1973年の春に起こった。
 日本のとある田舎町の上空に現われたそれを、人々は当初そう重大なものと認識せず、見慣れないものが「浮いている」とだけ感じたという。
 今考えるなら、その貴重な出会いの瞬間をそのような軽い対応で逃してしまうなどということは有り得ないことではあるのだが────それもしょうがないというものだ。
 空に、UFOに見られるような「乗り物」としてではなく、単なる「一生物体」が飛行不可能なシルエットでもって飛んでいるなどと、だれが判断できようか。


 そうして1973年以降、年を経るごとに目撃情報は増えていった。
 初期の報告例で最も多いのは関東近郊だ。 

←東京のとある夏祭り会場

 人型のものが飛んでいるのがわかる。
 人により、赤いもじゃもじゃしたもの、毛玉のように丸いもの等多くの表現があるこの飛行物体、報告に共通しているのはお気づきの通り「赤い」「毛玉」という単語だ。また今では周知の事実となっているが、「プロペラのようなものが回っていた」という証言も、この頃からいくつか確認されている。
 しかしプロペラは高速回転しているのかはっきりと視認されることは少なく、「赤」くて「毛糸」のような「人型?」っぽい何かが空を飛んでいるという事実が全国に広まり、マスコミがこぞって空に「赤い毛玉」を追いかけ始めるようになる。
 1980年代は、逃げる赤い毛玉をマスコミはもちろん全国民が追いかけるとでも表現したくなるような、一種の熱狂状態が日本を覆い尽すことになった。
 そんな狂騒の中、誰が言い始めたのか、「レッドヤーン」という呼称が世間に浸透し、80年代後半にはその名が一般的なものになっていった。


<1990年代>

←埼玉で目撃されたもの。プロペラがはっきりとうつっている。

 90年代は、その前の10年間とは一変し、レッドヤーンに対する熱狂が急激に薄れていった10年だった。
 研究家の間ではこの10年を「失われた10年」と呼んだりもする。
 マスコミにおいてはそれを特番で扱ってくれればいい方で、追い回していた好事家たちの大半もその熱を冷ましていった。一ウォッチャーとしては悲しい限りの事実ではあるが、しかし、ただ飛んでいるだけで絶対に捕まえることのできない何かを追い回すのに、情熱だけで続けられる限界があるのは否めない。ブームはブームであり、何か一つでも転機になるような発見がなければ、コアなファンだけを残してブームは消えてなくなる。
 上の写真はそんな中、ある研究家によって撮影された一枚だ。
 プロペラまでがはっきりとここまで映りこんでいるものは珍しく、一時期レッドヤーンファンの間では騒然となったが世論を動かすまでには至らず、90年代後半(※)になると、もう、一般の口に「赤い毛玉」という単語ですら滅多に上らなくなってしまった。

※90年代後半
 実際、ただ飛んでるだけで目撃情報も減ってきていたレッドヤーンのブームが衰退することは、しょうがない時期でもあった。
 この頃は例の終末預言の話題でもちきりであり、なおかつ、新たなUMAの話題が次々に海外メディアからもたらされていた。特に預言の特番等は多く、書籍の発行数は更に多い。
 おかしな表現だが、レッドヤーンやそのファンたちにすれば不遇の時代だったと言えよう。


<2000年〜>

 終末がくることはなく、人類が滅亡しないまま迎えた2000年代。
 預言関係のブームは去り、どういうわけかレッドヤーン目撃情報が海外からもたらされることが多くなる。目撃情報の逆輸入現象だった。
 日本でしか見られなかったその赤い毛玉は、とりわけアメリカ大陸の南側で多く見られることになる。下火になっていたレッドヤーンブームにわずかながらも火がついたのはその時で、少年時代にそれを追い回した思い出を持つ人々が再びカメラを手に空を見上げだしたのもこの時だった。
 それでもしばらくはひっそりとしたブームの中、日本での目撃例は増えることなく、そのまままた人々の話題から消えてなくなると思われていた2002年夏────。
 研究家の間で今も論議の的となる、謎の写真が発見される。

←沖縄のとある城跡。プロペラが異様に伸びているのがわかる。

 レッドヤーンは一匹ではなかったのか。
 プロペラはどこまでも伸びるのか。
 知能があり、団体行動をとるのか。
 っていうかこいつら、複数より集まって一体何をしているのか。
 一枚の写真から謎と疑問は湯水のようにわきあがる。が、実際、現実的な問題はそこではなかった。
 このフィルムは、この件の城跡にある草むらから発見され現像されたことになっている。フィルムの持ち主の行方は知れず、一説によればこの写真を撮ったのちにフィルムを草むらに隠し命を落とした────そう、噂されている。
 レッドヤーンに近付くのは危険なのか?それは命を賭けなければならないことになるのか?
 そんな議論が研究家の中で巻き起こると同時に、この写真はあるテレビ局の特番を介して全国に広まった。そして再び、危険のことは棚に上げ、また再びレッドヤーン旋風が日本を席巻していく。


 個人的な言ながら。
 彼らに深く近寄らなければ危険はないし、第一、このフィルムの持ち主に関してもその行方が真実かどうかは定かではない。
 自分はレッドヤーンを追うのが好きだし、一ウォッチャーとして、みんながあの宙を漂う綺麗な赤い毛玉に注目してくれるのはとても嬉しい。
 彼らは不思議だし、正体が何かを知りたい欲求はある。しかし、そんなものわからなくてもいいじゃあないか。わからないものを追い続けるのもまたロマンだと言うと────呆れられるのだろうか。
 ともかく2010年の今。
 レッドヤーンを巡る論争はまだ終わらず、それを追う好事家もまた大勢いる。
 その現実に変わりは無い。

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