代表者挨拶
ここまで不可解なものを画面内に認めていていいものなのか。 それが、わたしがこの連絡会を創設したそもそもの発端だ。 民放テレビ局で始まったその番組は「ひらけ!ポンキッキ」と題され、就学前の子供たちを対象とした教育番組の体裁をとっていた。 歌や踊りを始め、言語や数字、しつけに至るまでの様々なコーナーによって形成されるその番組は、確かに教育といった面においては非の打ち所のない優良番組であったろう。それは長年続けられた放送が示す通りでもあり、こと「教育」という事柄に対して意見を述べるべき箇所はない。 だが、少し待って欲しい。 幼児向けということもあり、番組内にはマスコット的な輩が重用されている。 名前はガチャピンとムック。名前の由来は寡聞にして知らないが、彼らがどういう成り立ちによる生物であるかは見て取れる。 ガチャピンは南の国からきた恐竜の子という設定である。 それはわかる。緑の体、うろこらしき装飾、口からはみ出した前歯────大きくデフォルメされた形ではあるが、「恐竜」という枠組をそれほど逸脱してはいない。 問題はそのガチャピンがコンビを組まされているもう一人の方である。 北の国からきたというその生き物は、雪男の系列にあるという。種族として、イエティとかいうものになるのであろうか。 そのことは別にいい。恐竜が受け入れられるのに雪男が受け入れられないという道理はない。 そうではないのだ。 問題はそのムックというモノのの造形にある。 赤い体毛はいいだろう。そういう生き物がいないということもない。 では、何故その体毛は、手の甲にまで生えていないのか?両手だけがすべすべというその表現は、一体何に根ざしたものだというのか。 ────いや、そういう生き物もいるかもしれない。百歩譲って体毛は許そう。 そうだとしても、ならば、あの目はなんなのか。 突き出ているのか突き刺さっているのか定かではないが、跳躍すれば黒目がぐるぐる回るというあの物体は、明らかに生き物ではないだろう。 そしてこれまた頭に刺さっているのか生えているのか定かではないプロペラ────いや、あのプロペラは彼が故郷を離れるとき「南は暑いから」という理由で祖父が進呈したものだと言う噂も聞くのだが────なんにせよ、頭に刺していいものかどうかは考えずともわかることではないのだろうか。 造形一つを考えたところで瞬時にこれだけの疑問が湧く。 更に裏話になってしまうが、「ムック」の造形はその昔に人気であったあるアーティストを元にしていたという話もある筋から聞いた。 そのアーティストは頭にプロペラ生やしていたのか・・・・・・・・・? 私の疑問に答えてくれる人は、残念ながらいない。 初めて見たそのときから、何もかもが不可解な生き物────それがムックであったのだ。 とかくこのように、彼は、不可解だ。 不可解が形を作って歩いていると言って過言ではない。 ならば。 そういう生き物が幼児番組に顔を出すことは受容していいものなのか。 どういう匙加減か、本来の性格が作用しているからか、ムックが活躍することは稀だ。ほとんどの肉体労働をガチャピンがこなしている。 彼は何のために産まれ、何のために番組に登場し、何のために生きているのか。 深遠なそのテーマ全てに解答を得ることは困難ではあるが、たった一つ我々にできることがある。 「ムックを観察し、番組に相応しいものか見極め、適わない時には排斥も辞さず」 これを連絡会のテーマとし、会員とともにあの生き物を監視していくことを使命とする。 これまでもこれからも、それが私のテーマであります。 ムック排斥連絡会会長 モンゴリアン田中 |